ヤミ市、フリーマーケット、哲学、法秩序

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私のマネジメントの究極の目標は経営者・指導者を不要にすること。組織のトラック・ナンバーが上昇し、生存能力が高まること。自由な個人が創造性を発揮して稼ぐ環境です。これは幻想ではありません。経済、つまり市場にとって、制度的指導者は必要条件ではありません。「お上」がいなくても経済にとっては問題ない。

その典型が戦後のヤミ市です。自発的に指導層が発生し、治安維持が行われ、その対価(場所代)を市場参加者が支払う。自生的な自治機構です。無法地帯とは国家の法が及ばないという意味に過ぎない。そこにれっきとした法はあり、武装した自警団(的屋やくざ)によって執行される。 (※米国のミリシアという例も)

その法は書かれてはいない。しかし、存在するかどうかを、ある程度は客観的に判断できる。人々の慣習こそ法であり(慣習法)、それは犯したかそうでないかを他人が判断する(陪審制)。慣習法と陪審制は相性がよい(英米法コモン・ロー)。日本が採用しているのは大陸法の成文法主義です。

ちなみに、ヤミ市(闇市)という言葉は恣意的です。アンダー・グラウンドで怖いイメージを抱かせる。しかし、その実態は自由な市場 (free market)です。これを非合法だとする法こそおかしい。

戦後の物資不足に、政府の配給など待っていられなかった。戦争を始めたのも政府。敗戦直後の物資不足を招いたのも政府。大きな問題のほとんどを政府がつくった。人々は自ら問題を解決しようとした。物資を調達できる人が売り、それを必要とする人が買った。人々は「政府に頼らず」に問題を解決しようとしただけなのです。

ヤミ市の取り締まりは、人々の厚生を悪化させたでしょう。政府は物資不足に為す術を持たなかった。そのくせに民間市場を破壊した。このような政府は人々の幸福にまったく貢献しない存在です。

的屋 - Wikipedia

現在は祭礼や縁日に人出が減ったのに比べ、自治体が管理する公園や遊技場において各種団体が主催するフリーマーケットなどが多くなっている。 このため、地元の商店や店舗を持たない者が、副業や趣味または企業として露天での販売を行う姿も多くなっている。

フリーマーケット(free market)を追われた人々はフリーマーケット(flea market)に活路を求めた。そこは政府に管理された虚構の「自由な市場」です。食品を売ってはならないとか、古物商の免許が必要だとか。ヤミ市を破壊した政府は、いまだに同じ過ちを繰り返している。

私は市民の生活を脅かす反社会的組織としてのやくざ・暴力団を認めない。そもそも暴力は許せない。しかし、昔は市民の厚生に寄与していたであろう自警団の抑止力的治安維持機能まで否定する気は無い。こういうことを言うと反射的・感情的な反応が返ってきやすいが、冷静に考えてみていただきたい。

人間が真に自立するとは、ゼロベース思考で自分自身の前提を疑うことから始まります。哲学はそのための道具です。

自ら哲学者となって、自分自身とは何かを見つめ直し、真に自分にとって価値ある価値観・道徳観を、日々新たに選び直すことでのみ維持する。物心つく前からすり込まれてきた「他人の価値観・道徳観」を惰性で死ぬまで抱えて生きていきたい人は少ないはずです。しかし、残念ながら自分がそのような刷り込みをされていることに気付く機会は少ない。哲学はその気づきを与えます。

私は伝統を重んじ、多くを学んでいますが、伝統の重みの前に思考停止する保守主義者でもありません。(ハイエクの自生的秩序という概念は重要な問題提起です)

最後に、本稿のまとめです。これは会社のマネジメントの話です。

多くの会社には法秩序が曖昧な形でしか存在しない。上司の大岡裁きに頼っているのではないでしょうか? 法解釈が一貫せずブレまくる法秩序のもとで、人々は自由な意志決定をできるのでしょうか? 「これは法に反しないか」という不安を常に抱えることになる。

人々に自己責任で自己判断させることは、単に試行錯誤を増やして創造性を高めるだけでない。個人の自由とは人間の尊厳です。裁量的に人々が捌かれていた全体主義国家で、人々がいかに抑圧的に生活していたかを想像してみればいい。

会社にとっての問題は、社内の紛争処理をどう解決するか。そのための法体系、司法制度がどうあるべきか。その前提として、人々はルールが事前に分からないと不安です。規則功利主義のような原理が必要です。ただ、重要なのはどの原理主義であるかではなく、「原理が一貫して適用されていること」なのです。つまり、法の支配です。大岡裁きは温情的だとしても裁量的であるゆえ人々に自由を与えません。

ハイエクの新訳『法と立法と自由』を手に入れました。読むのが楽しみです。

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会社経費での雑誌購読をやめました。互恵的利他主義ができないかなと。現実社会におい... 続きを読む

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このページは、ishibashiが2009年2月17日 10:37に書いたブログ記事です。

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