社内通貨の導入

ペナルティはインセンティブ/社内通貨/上司不要論/マネジメント2.0」で紹介した社内通貨についての補足です。

よく分かります。究極のペナルティが解雇ですが、もっと穏健なペナルティも必要です。

では、もっと「穏健なペナルティ」と、それに対応したインセンティブとは何か?

一つの例として「社内通貨」が考えられます。同僚から「ありがとう」のスタンプをもらって集める仕組みなども広義の「社内通貨」と考えられるし、もっと本格的な「地域通貨」の仕組みもありえる。その定義は「定量的な対価」です。コピー取りやお茶だしのお礼に渡すもの。その作業の量や質によって対価が変わるとしたら、これは「貨幣」です。交換の媒介、価値の尺度、価値の貯蔵という機能を持っている。

社内通貨の発展過程は、途上国がドル・ペッグ(固定相場)を止めて変動為替レートに至る経済過程のアナロジーで理解できます。社内通貨を導入するならば、最終的にそれが日本円と変動為替レートで交換されることを受け入れることになるでしょう。

最初は日本円と交換できない形で社内通貨を導入したとしても、それは人事考課による給与への反映という形で、日本円と結びついている。何かの評価に繋がらないなら、そもそも社内通貨を誰も使わないでしょう。どんなに間接的であろうと給料に紐付いているから使われるのです。そして、流通すれば相場も形成される。「今日の飲み代が足りないから5,000ガバス買ってくれないか」といったヤミ取引の発生は防げない。これを規制すれば社内通貨は失敗するでしょう。そもそも抜け穴がいくらでもある。自由な取引を促すしかない。その行き着く先は日本円との変動相場制による自由な交換です。

安政小判RMTアジア通貨危機から学ぶことで、そういう結果が示唆されます。

実質的に貨幣の機能を持つものは、ほかの貨幣と交換したくなる。人々の欲望を抑え込むことはできない。交換の禁止や固定レート制は最初のうちこそ必要な措置かもしれないが、あくまで暫定措置です。いずれ変動為替レートで自由に交換できるようになる。

究極的には、発行主体が社内通貨を回収し、日本円に置き換える形で、発展的に解消することになるかもしれない。その状態こそ社内通貨の成功です。人々がお金に対して「汚い」「やましい」といった感情を抱かずに、ちょっとした手伝いなどに対して数百円くらいの対価を支払う文化ができた状態。

つまり、それまで貨幣のなかったところに貨幣経済を導入して、補助輪つきで練習するのが社内通貨の意味です。会社は共産主義であり、長年それに慣れてきた人々は、急な資本主義化に混乱します。(完全に共産化され、貨幣のなかった旧東側国の市民は、冷戦後の貨幣経済にしばらく戸惑ったそうです[要出典])

企業に市場メカニズムを導入するなら、価格や貨幣といった概念に人々を慣らしていく必要があります。市場メカニズムとは貨幣経済の別名です。社内通貨とはそのための補助輪です。

最終的に日本円と交換可能な通貨になるのは社内通貨の必然です。それを禁止すると、不便な通貨よりも便利な日本円が選ばれる。市場の自然な発展過程を妨げれば失敗するし、それを促進すれば立派な通貨に育つ。その二択でしょう。

なお、貨幣は発行主体の負債です(不換紙幣)。いきなりタダで通貨を配るのはおかしい。従業員も気付く。給与原資が減るのではないかと疑う。減税しても国債増発するなら無意味と見破られるのと同じ。

そこで、上司から部下へインセンティブとして渡すことから始める。上司が部下を褒めるときに、あわせて支払うなど。その上司はどこから社内通貨を得るかというと、業績連動給の一部が社内通貨として支払われるなどの方法です。政府がハイパワード・マネーを市中銀行に提供するように、企業はハイパワード・社内通貨を一部の従業員(役員クラス)に提供する。

なお、発行主体のバランス・シートは公開されているべきです。発行済通貨(負債)と保有資産(日本円など)のバランスによって、通貨の信用度が変わります。つまり実質的にレートは変動します。これを避けるには1対1で日本円を保有することです。金本位制の米国がマネー・サプライを増やすたびにアフリカから金を買っていたのと同じ状態になります。歴史はニクソン・ショックのような可能性も示唆します。この話題には深入りしませんが。

このように、社内通貨は本質的に日本円と切り離せないので、逆に、補助輪として少しずつ慣らすためのロードマップを慎重に設計する必要があります。

最初の信用貨幣は社内預金を預託金とした小切手です。その額面を10、100、1,000といった単位にそろえて、端数はすぐに社内銀行で回収する。こうして額面の揃った小切手が流通する状態にする。じつは、この状態こそ理想的かもしれない。なぜ「政府」が貨幣発行を独占しなければならないのかと。

このように、社内経済について本質的に考えていくことは、必然的に現実経済の本質を考えることに通じます。当たり前を疑わないように洗脳されていることに気付きます。貨幣の本質や、貨幣発行の政府独占といった誤魔化しに。

貨幣発行自由化論 F・A・ハイエク

このようなハイエクの主張については、それが実現不可能なものであり非現実的であるとして頭から否定し去るという態度をとることはきわめて容易である。けれども、このような態度に対しては、「経済理論家または政治哲学者の主要な仕事は、今日政治上では不可能であることが政治上で可能となるように、世論に影響を与えることにあるべきである」とする第二版序文でのハイエクの言葉のもつ重みが尊重されねばならない。

政治的に不可能であっても、社内経済の設計者である経営者には可能なのです。

お口直し:
* あんそく やる夫が儲けるようです 【古代編】
* あんそく やる夫が儲けるようです 【近代編】
* あんそく やる夫が儲けるようです 【最終話】
* Money As Debt(日本語字幕版)

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