生きているのか、死んでいるのか、それが問題だ

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生きている人間の評価は、死ぬまで定まらない。いや、死んでも定まらないのだけれど。

会社の格付けする会社あるじゃん? ああいう風に経済アナリスト、コメンテータを格付けするサイト作ったらメッチャおもしろくね?

http://twitter.com/fladdict/

@fladdict 一度おされた"外している"という烙印を消せる/薄められる機能をもつ格付けサイトならアリなのかな。"結果的SEO"によってネガティブな情報だけが永続的に見られ続けている状態みたいなところに懸念。(すべて想像で書いてますが…w)

http://twitter.com/securecat/

@securecat たしかに「死んだ人間に関する情報」はいまのGoogle的検索技術でもいいけど、「生きている人間」は場合によって180度真逆に変わるかもしれないので、評価が固定化しない検索・評価の技術は欲しいなあ・・・「変節」って必ずしも悪いことではないわけだし

http://twitter.com/zerobase/

死んでる人間の評価は死体の解剖のようなもので、評価を定めやすい、かもしれない、けれど、それとて時代と共に再評価されたりする。論争が終わらないこともある。

イギリスの哲学者にして経済学者であり、社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与えた。ベンサムの唱えた功利主義の擁護者。晩年は自ら社会主義者を名乗る。 ミルは参政権(=積極的自由)について述べているが、あくまで「だいたい」消極的自由についてと言うことであって、『自由論』全てが消極的自由の議論であるわけでは無い。ミルが後年自らを社会主義者と呼んだことを考慮してもらいたい。ミルが実際に社会主義者かどうかは今でも議論があるが、彼は自由放任主義資本主義を支持していたので、通常はそのように見なされない。実際のミルが自由を解釈して、後のチャーティスト運動が考えた自由、つまり他人を思いやる自由と考えたとすれば彼が社会主義者であったことが理解できる。最初ミルの自由論が不評であった理由は実はこの点にある。しかしイデオロギーからの脱出が叫ばれている現在ではこのようなイデオロギー論争を抜きにして自由論は、自由意思論を超えた立派な社会的自由、経済的自由、政治的自由を含んだ広大な領域をカバーする世界史に残る自由論であったということができる。

ジョン・スチュアート・ミル - Wikipedia

晩年のハイエクは、市場が自生的には存続できないという側面を強調するようになり、その基盤としてのコモンローや議会改革などの制度設計を論じるようになる。これがよく指摘されるハイエクの矛盾だが、これは矛盾というよりは発展と考えたほうがよい。自由は、初期の彼が考えていたように人々に好まれる自明の価値ではなく、むしろそれを維持する制度的なインフラがなければ壊れてしまう、不自然で脆弱なメカニズムなのである。

ハイエクの政治思想 - 池田信夫 blog

生きている人間は「解剖」中に別人のようになることもあるから、なおさら厄介だ。

 「構造改革」の急先鋒として知られた三菱UFJリサーチ&コンサルティングの理事長、中谷巌氏。細川内閣や小渕内閣で規制緩和や市場開放を積極的に主張。市場原理の重要性を声高に説いた。小渕内閣の「経済戦略会議」における提言の一部は小泉政権の構造改革に継承されており、構造改革路線の生みの親とも言える存在だ。その中谷氏が昨年12月に上梓した著書が話題を集めている。

 タイトルは『資本主義はなぜ自壊したのか』。「構造改革」を謳い文句に登場した新自由主義の思想と、そのマーケット第一主義の結果として現出したグローバル資本主義(米国型金融資本主義)を批判した書である。所得格差の拡大、地球規模で進む環境破壊、グローバルで進む食品汚染、崩壊する社会の絆——。これらはグローバル資本主義という「悪魔のひき臼」がもたらした副産物であると説く。

なぜ私は変節したか?:日経ビジネスオンライン

そもそも、人が人を評価するということは、客観的であり得ない。主観から出た言論に過ぎない。もちろんそれは言論の自由として尊重されるべきもの。

それが、あたかも客観情報であるかのようにーーーつまり意見ではなく事実であるかのようにーーー見えるサイト(Wikipediaなど)がある。それを否定するわけではない。ただ、カウンターが存在してもいいだろう。選択肢が増えるのは良いことだ。(増えすぎなければ)

想像してみると、例えば、匿名ではなく記名の人物評記事を一覧できるサイト。ある人物X氏への評価について、A氏はこのように述べ、B氏は逆である、という様子が一覧できるもの。もちろん、「A氏やB氏のX氏に対する評価」は変わりうる。その変遷も重要だ。ちょっと面白そう。機会があれば、作ってみたい。

こんな風に緩やかに問題領域の広さを意識した上で、Googleの「人名検索」技術がどこに向かうのか、注目したい。当初は自称プロフィール中心のようだ。少なくとも現時点で彼らが「解決しようとしている問題」は明確に宣言されている:

私たちは名刺交換をした後やこれから会おうとする人物について人名で検索する機会があるが、同姓同名の異なる人物へのリンクが表示されたり、あるいは該当する人物だが古いプロフィールへのリンクや大学・高校時代に参加した大会での記録ページへのリンクが掲載されるなど、必ずしも私たちが欲しい情報が得られるわけではない。今回のGoogle人物検索はこうした問題を解消する。

Google、人名検索に対応 - Google ProfileやFacebook、LinkedInのリンクを表示 :: SEM R

その次に、その先に、彼らが解決しようとする問題は何だろう?

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このページは、ishibashiが2009年4月22日 21:44に書いたブログ記事です。

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