全人格的な働き方ができる「最小国家」を目指して

「裁量行政の否定」「小さな政府」「効率的市場のための制度設計」などの考え方で企業組織を設計(デザイン)したらどうなるか。構想1年時点の報告。
@IT自分戦略研究所の岑氏にインタビューして頂いた内容(写真撮影:赤司氏)が "「自分で自分の面倒をみる人が得をする」組織づくり" として掲載されました。この記事を下地に、これから数回にわたって言及していきます。
職務の枠から、はみ出す創造性

ある人に"できる仕事"をさせるのではなく、まずポジションがあって、そこに見合う人を連れてくる。この考え方だと、ポジションの周りにその人の「できること」がはみ出すことになります。実は、このはみ出した部分こそが面白いかもしれません。ゲイリー・ハメルは『経営の未来』という本で「創造的でない人はいない」といっています。創造的に見えない社員がいたとしたら、その人はきっとそのポジションからはみ出した部分で創造的なことをしているはずなのです。----ただし、会社の外で
ここでいう「ポジション」とは欧米流の職務記述書(job description)をイメージしています。四角い枠があって、それが隙間なく敷き詰められ、組織されている。個々の枠が職務です。そこに人をあてがう。その枠の内側に隙間(こなされない職務)があってはいけない。だから、常に枠をぴったり埋めるような人を連れてきて押し込める。

実際には、ぴったり埋めても余って「はみ出す」。適切な資質を持つ人(right stuff)を採用する限り、その人の能力は、常に職務の枠をはみ出てしまう。だから、全人格的に能力を発揮する機会はめったに訪れない。「私に出来ることすべて、仕事の中で実際に行う機会がある」という人に会ったことはない。

「はみ出す」能力とは何か。例えば創造性。具体例は「アンカテ」(essa氏)が『経営の未来』から引用している通り:

あなたの会社には、ビデオブロガーやミキサーやハッカー、マッシュアッパーやチューナーやポッドキャスターが、間違いなくうようよしている。自分の創造の情熱を追求するにあたって、彼らは無限に近いツールや資源を利用することができる。(中略)誓ってもいいが、あなたの会社の社員は必ずどこかで自分の創造力を発揮している。ただ、その場所が職場ではないかもしれないというだけだ。(P250)

完全結果志向(ROWE)

ゼロベースはROWE(Results-Only Work Environment、完全結果志向の職場環境)を試しています。社員は「結果さえ出せば、働き方(場所や時間)は自由」です。2008年秋くらいから考えていました。いま、まさに実験中です。これでうまくいくかどうかは分からないのですが、ゼロベースは「そうせざるを得ない」と思っています。少なくとも、僕はそうじゃないと会社で働けません。

ROWEについてはこちらをご参照ください:

なぜ場所や時間の自由が必要か。創造的な仕事を生産的に扱ってはならないと考えるからです。

創造的であることと、生産的であること、日本ではこの言葉の違いに対する認識がどうも浅いような気がしてならない。

個人の思いつき、偶発性、何よりも本人の強い意志がなければ創造的行為は実現しない。生産はシステム化も可能だが、創造は無理だ。あくまで人間が主体性を持って取り組むしかない。

人と人が出会い、思わぬ"化学反応"が起こる、真の意味のコラボレーションは場所やしつらえに依存しない。むしろ、機能性は不十分なくらいでちょうどいい。たまたま路上で出会ったふたりが意気投合し、そのままガードレールに腰掛け、何時間も話し合った。アイデア出しをしていたら黒板のスペースがなくなり、横の壁にはみ出して書き続けた。伝説的なプロジェクトは、こういった逸話に事欠かない。メンバーも、実に生き生きとその中身を語る。このワクワク感のないところに、創造的な仕事は立ち上がらない。
「生産的な仕事より創造的な仕事を重視しよう」
西村佳哲氏(リビングワールド代表、働き方研究家)
Works84号目次 リクルート ワークス研究所 Works Institute
例えば毎日同じ時間に出社するといった習慣は、生産性のためであって、創造性のためではないように思います。これも "「経営の未来」に従業員の未来を見る - アンカテ" で言及されています。『経営の未来』の引用箇所としては下記の部分:

近代工業化社会の職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。

最小国家的企業形態

僕は「社長」ですが、人の面倒をみることに情熱が湧かない人間です。世の中には立派なマネージャが存在することは認めますが、僕はそうはなれない。だったら、「自分で自分の面倒をみる人がいちばん得をする」という仕組みの組織を作ればいいんです。ぎりぎり「企業」としての枠を持ちつつ、インセンティブを設計して、仕組みで人を動かす組織。国家論でいう「最小国家」「夜警国家」に近いでしょうね。

国家と会社を対比するアナロジー思考で:

  • 官僚・公務員の裁量的な業務執行を廃する/マネジャの属人的管理スキルに頼らない
  • 国家(政府)を縮小し、民間に任せる/管理機能は最小に、個々人の自由度・裁量に任せる
  • 市場がうまく機能するように制度を設計する/社内に市場を創る
ということです。

創造的に働くとは、自由に働くことでもある。自由に働くための制度を考える上では、自由主義国家論が参考になる。

私は中間管理職という人間を不要にして、システム化することを模索しています。そのヒントは自由市場メカニズムにあります。個人事業主に上司はいない。人は上司がいなくても働ける。 これは「会社」という概念の発明以前からの真実です。

こういう問題意識で、「実験」をしていますが、同時に「実践」でもあるわけです。べつに知的好奇心でやっているわけではありません。私が私らしく創造的に生きるための実践です。同志を探しています。

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余談ですが、没になったもう一つのタイトルを本記事に拝借しました。私=ゼロベースの試みにつける、最高のキャッチコピーだと思いました。

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