ウェブ(情報空間)を「物質空間と同等に重要な生活環境」に格上げするウェブ・アーキテクト

建築家(アーキテクト)は「生活環境としての物質空間」を構想・設計する役割において社会的信頼を得ています。それと同等の社会的信頼を得るべき職業、つまり「生活環境としてのウェブ(情報空間)」を構想・設計するシリアスなプロフェッショナルとして「ウェブ・アーキテクト」を名乗ります。

【追記:2012年2月20日】ここで用いている「情報空間」という情報技術の「(異)空間的比喩」について考察したところ、妥当ではない比喩だという結論に至りました。いずれ詳しく説明したいと思いますが、まずはその転向を補足するに止めておきます。(もっと読む

このような質問を頂きました:

私は今就職活動の大学生です。最近よく「インフォメーション・アーキテクト」という職種について耳にするようになりました。ウェブ・アーキテクトとの違いはありますか?また、ウェブ・アーキテクトというお仕事に向いている人はどんな人ですか?

〔※所感:質問されることで文章が引き出され、考えがまとまりました。いずれ賛同者と共同で「ウェブ・アーキテクト宣言 Web Architect Manifesto」を発表できればと思いました。「アジャイルソフトウェア開発宣言」や "SOA Manifesto" のように〕

(以下回答)

「建築家(アーキテクト)」と同等の社会的信頼を得るべき職業として「ウェブ・アーキテクト」を定義しました。なぜ新しい職業(肩書き)を作ったのかというと「インフォメーション・アーキテクト」がすでに手垢にまみれた言葉だったからです。

最初の「インフォメーション・アーキテクト」であるリチャード・ソール・ワーマンは建築家(アーキテクト)でした。しかし、もはや「インフォメーション・アーキテクト」という言葉は、本来の「建築家(アーキテクト)」という意味と切り離されています(どのように切り離されているかは後述します)。

そのような「インフォメーション・アーキテクト」の意味を更新(上書き)する努力をするよりも、新しく「ウェブ・アーキテクト」という言葉を作った方がよいと考えました。

インフォメーション・アーキテクトとウェブ・アーキテクトとの違い

職能・技能(スキル)について「インフォメーション・アーキテクト」と「ウェブ・アーキテクト」を比較する意味はありません。もし自らを「建築家(アーキテクト)」と同等の存在に格上げしようと思っていない「インフォメーション・アーキテクト」がいるなら、その人は「ウェブ・アーキテクト」ではありません。もし「建築家(アーキテクト)」と同等の社会的役割を担う意思があるなら、その「インフォメーション・アーキテクト」は「ウェブ・アーキテクト」です。こういう風に呼ばれることを当の「インフォメーション・アーキテクト」は嫌うかもしれませんが... 後述の政治的文脈において「建築家(アーキテクト)らしさ」は重要です。

ウェブ・アーキテクトに向いている人

ウェブ(情報空間)をシリアスに考えるプロフェッショナルで、ウェブ開発のなかで「ゼネラリスト」として「全体性」を追求するなら、その人は「ウェブ・アーキテクト」です:

ウェブ・アーキテクトはウェブ開発の「全体性 wholeness 」を追求します。様々な専門家が単に集まっただけでは「全体性」がおろそかになります。そこにウェブ・アーキテクトという「専門家」の存在意義があるのです。ウェブ・アーキテクトはウェブ開発の外から見れば「ウェブ開発の専門家 specialist」ですが、ウェブ開発の内部では「ゼネラリスト generalist」として働きます。

ウェブ開発とプログラミングに共通する点はあるでしょうか。また勉強するとしたらどのような分野になるでしょうか。

シリアスなプロフェッショナル

建築家(アーキテクト)は人の生死に関わるシリアスな問題に責任を持って取り組みます。それにより社会の信頼を得ます。反面教師としては2005年の「構造計算書偽造問題」を思い出してください。建築家(アーキテクト)は人の生死に関わるシリアスな職業なのです。

一方、これまで「ウェブ」はシリアスな空間だと思われていませんでした。ウェブ開発に関わる職業も、シリアスな職業だとは思われていませんでした。だからこそウェブ開発の専門家の声は社会や政治に届かなかった。

私はそのような状況を変えたいのです。ウェブ(情報空間)にシリアスな責任を持ったプロフェッショナルとして、社会に信頼される「ウェブ・アーキテクト」に、私はなりたい。また、そういう人を増やしたい。私はウェブをシリアスに考えているから、こういう提言もします:

「物質空間と同等に重要な生活環境」としてのウェブ(情報空間)の格上げ

私はウェブ(情報空間)を「物質空間と同等に重要な生活環境」に格上げします。「ウェブ(情報空間)の開発に携わるウェブ・アーキテクト」を「物質空間の開発に携わる建築家(アーキテクト)」と同格の職業に格上げします。

(1) ウェブ・アーキテクトと建築家(アーキテクト)の対比 (2) 物質空間と情報空間(ウェブ)の対比 (3) (1)と(2)の並行性

その「格上げ」なしに、ウェブ(情報空間)に関するシリアスな国民的イシュー(※)の本質的・本格的な議論は難しいでしょう。(※例えば「国民ID」「ネット選挙・ネット投票」「デジタル・デバイド」「個人情報保護法」「著作権法」など)

政治家や財界有力者、多数のシニア有権者たちは、まだまだウェブを「ほんもの(リアル)の社会」と認めていないようです。ウェブは若者の遊びや暇つぶしの場だ。ウェブ上の発言は無責任だ。私は「そんなことはない」と主張します。すでにウェブが現実(リアリティ)の一部になっている人もたくさんいます。ウェブ上で責任ある発言をしている人もいます。なにより、いまウェブをリアルに利用していない人々に向けたウェブ開発を通じて「あなたたちにも活用して欲しい」と提案していきます。単に言論するだけでなく、実際に彼らが使えるものを作って提供することが、何よりの「説得」になるはずです。手放せなくなるものを提供していきます:

シニア向けの介護から娯楽まで、幅広くシニア向けサービス業に興味があります。ウェブの専門家として、ウェブの活用に貢献できるのではないかと。

もしWeb以外の事業を行うとしたら、何をしますか?

このように「生活環境としてのウェブ(情報空間)の重要性」を社会的に正当化する活動が重要です。そうしなければウェブ(情報空間)は、いつまでも「大人」になれず、「子供」のままです。ウェブに携わるプロフェッショナルの倫理として、ウェブが「子供」扱いされている状況を看過することはできません。

アーキテクトの構想力

建築家(アーキテクト)は「物質空間における生活環境」を構想・設計します。建築、都市計画、国土計画といったミクロからマクロまで。「ウェブ・アーキテクト」も「ウェブ(情報空間)における生活環境」を構想・設計します。ウェブサイト、エコシステム、情報社会といったミクロからマクロまで。そのような構想力なしに「建築家(アーキテクト)」と同等とは言えません。ですから私は社会について思想的・批評的に考えたり語ったりすることが「ウェブ・アーキテクト」の重要な活動だと考えます。

建築家(アーキテクト)は近代化において重要な役割を担いました。農村を切り開き近代的都市に作り替える際に「近代都市において人々はどのように生きるだろうか」と構想しました。そこに思想と批評がありました。では「未来の情報空間において人々はどのような生活環境を生きているだろうか」という問いへの答えを「インフォメーション・アーキテクト」に求める人がいるでしょうか。私はウェブ開発者を、社会からもっと期待してもらえる存在にしたいのです。

もし私の目論見通りに「ウェブ(情報空間)に責任を持つシリアスなプロフェッショナル」として「ウェブ・アーキテクト」が社会から認められる日が来たときに、「インフォメーション・アーキテクト」と「ウェブ・アーキテクト」に違いがあるのか、無いのか。それは今のところ分かりません。

冒頭で述べたとおり、本質的には肩書きの問題ではないのです。「建築家(アーキテクト)」としての「社会的責任」を引き受けるかどうか。それが問題なのです。

「ウェブ・アーキテクト的」な文章

脚註

【追記:2012年2月20日】ここで用いている「情報空間」という情報技術の「(異)空間的比喩」について考察したところ、妥当ではない比喩だという結論に至りました。いずれ詳しく説明したいと思いますが、まずはその転向を補足するに止めておきます(要点だけ脚註に書きました)。現時点で妥当だと思う比喩は「異なる次元(三次元と四次元の違い)」「異なる感覚(視覚と聴覚の違い)」のような比喩です。いわば情報技術による人間能力の拡張が「超能力」のようなものであるという比喩です。例えば、テレパシー、透視、サイコメトリー、未来視、ダウジングなど。「情報空間(サイバースペース)」という「(異)空間的比喩」(リアル空間とは違うもう一つの場所)ではなく、「(異)能力的比喩」(情報技術で拡張された能力により「多重化されたリアル空間」)として情報技術を考えたいと思います。

追記

1年後に書いた『「(情報)アーキテクト」原論』もぜひご一読を。

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