第1回ニコニコ学会βシンポジウムは「想定外」と「生成力」と「ベータ版」

第1回ニコニコ学会βシンポジウム(2011年12月6日)に参加しました。何度も登場した「想定外」というキーワードを「生成力」という概念で解釈しました。アーキテクチャのデザインプロセスについては「永久にベータ版」という概念をもとに理解しました。

ニコニコ学会β

ニコニコ学会βの第1回シンポジウム(2011年12月6日)に「個人スポンサー」として参加させて頂きました。楽しんで学ぶことができました。わずかな参加枠に招待してくださった江渡さん(@eto)に感謝しています。余談ですが「個人スポンサー」の特典としてニコニコ学会βウェブサイトの末尾(フッタ)にTwitterアイコンを載せて頂きました。

「生成力」と「想定外」

さて、ぼくなりに今回のシンポジウムを振り返ってみますと、シンポジウムを通じて、セッションを超えて、何度も何度も「想定外」というキーワードが出てきたことが印象的でした。ぼくは「想定外」というキーワードを「生成力」に関する議論の文脈で理解しました。

余談ですが、当然ながら後のセッションの方は、前のセッションで出てきた「想定外」という言葉を引用して喋っているわけです。つまりシンポジウムの構成が引き出した、ある種の「編集」の成果としてのキーワードだと思います。今回のシンポジウムに「基調講演」はありませんでしたが、「基調」となるコンセプトが早い段階で提示されることになったと思います。

「生成力」 (generativity) はジョナサン・ジットレインが提出した概念です。ウェブ上の情報としてはアンカテさんのウサギとカメと生成力という記事が参考になります。ちなみにTEDに面白いスピーチがありますよ(約20分):ジョナサン・ジットレイン 「親切に支えられたWeb」

アーキテクチャの生成力が高まると、アーキテクトが設計時には想定していなかったような(想定外の)現象も起こります。「想定外」はしばしば「予期せぬ成功」(ドラッカー)になります(もちろん「予期せぬ失敗」にも)。

大事なのは「想定外」の「予期せぬ成功」を取り込んでアーキテクチャをリデザイン(再設計 redesign )することです。つまりインタラクティブなデザインが大事なのです。あ、「インタラクション・デザイン」という言葉を知っている人は、混同しないでくださいね。ここでいう「インタラクティブ」はデザインプロセスにおけるユーザーとデザイナーとのインタラクティビティのことです。

closed-ended な工業製品のデザインと、open-ended なウェブのデザイン

このことについてコンセントの長谷川さん (@ahaseg) と懇親会で議論する機会があったのですが、 "open-ended" と "closed-ended" という言葉で説明して頂きました。

工業製品(あるいは工業時代の製品)は「製造」や「販売」の前にデザインが終了しています。つまり "closed-ended" なデザインプロセスです。

しかし我々のような「ウェブ開発者(*1)」にとっては、リリース(提供開始)後もデザインプロセスは終わりません。むしろリリース後の改善こそ大事です。デザインに「終わり」がないという意味で "open-ended" なデザインプロセスです。

*1 「ウェブ開発者」にはエンジニア以外も含みます。デザイナー、情報アーキテクト、プランナー、ディレクターなど。詳しくは「ウェブ」の用語解説ページ。

リリースしてからリサーチし、プロダクトでプロトタイピングする

デザインにおいては「ユーザーが実際にどう使うか」という情報こそ大事です。しかし「実際の使われ方」を「観測」するためには実際にリリースする必要があります。リリース前には「観測」できず、あくまで「予測」することしかできません。

もちろん、予測精度を高めるために様々なデザイン・リサーチ方法があります。試作を通じて「実際の使われ方」とほぼ同等のフィードバックを得るためにプロトタイピングという手法もあります。しかし...

「デザイン・リサーチ」や「プロトタイピング」は工業時代・大量生産時代のデザイン手法です。ウェブサービスを開発するなら、もっといいやり方がある。

  • リリースしてからリサーチすればいい。
  • プロダクトでプロトタイピングすればいい。

ふつうとは逆ですね。意味が分からないかもしれません。ティム・オライリーが大昔に同じようなことを言ってます:

永久にベータ版

デバイスとプログラムがインターネットに接続されている今日では、アプリケーションはもはやモノではなく、間断なく提供されるサービスである。したがって:新機能はリリースという形でまとめて提供するのではなく、通常のユーザー経験の一部として、日常的に提供していこう。サービスを提供する際は、ユーザーをリアルタイムのテスターと位置付け、新機能がどのように使われているかを観察しよう。 Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル

ティム・オライリーがこの文章を書いたのは2005年。「ラットイヤー」(死語)で6年前ってことは「大昔」ということです。これを読んで「目から鱗が落ちた」人は、ちょっと焦った方がいいかもですね...

ちなみにセカンドセッション「作るアーキテクチャを作る」でニコニコ動画開発総指揮の戀塚氏が語っていた「NG共有機能」や「タグ」のデザイン論は興味深いものでした。ニコニコ動画はまさに「永久にベータ版」を実践しています。これほどインタラクティブにリデザインし続けているウェブサービスは、そうそうない。

クローズドテストとオープンリリースの曖昧な境界

「ベータ」とかいうと「そんな未完成のものを世に出していいのかしら?」と心配する方もいらっしゃるでしょうから、そんな心配性の方のために捕捉しておきましょう。

もしあなたが「完成度の低いものをリリースできない」というなら、協力的な社内外のモニターに限って、人数も限定して使ってもらう「クローズド・ベータテスト」というリリース方法があります。そこから段階的に広げていけばいいのです。

ウェブにおいては「クローズドテスト」と「オープンテスト」の境界を曖昧にすることができます。「ベータ版」と「正式版」の境界も曖昧にできます。「クローズド・ベータテスト」から徐々に広げていけば、「いつのまにかオープンしていた」というふうに移行することができます。

もちろんお好みならば大々的に「正式リリース」すればいいし、なんならテープカットの式典をして頂いても構いません。ご一報頂ければ私から祝電をお送りします。

ほらね、心配しなくても「ルビコン川を渡る」ような一大決心は不要です。一歩一歩着実に足場を固めつつ、踏み出す一歩ごとのリスクを限定しながら前進できます。よくビジネス書とかに書いてありそうな言葉で言えば「リスクは避けるものではなくコントロールするものだ」みたいな。

永久に不完全

「永久にベータ版」ってのは言い換えると「永久に不完全」ってことです。

この世に存在するほとんどすべての人工物(人が作った物)に共通する特徴は「不完全」であることです。誰かがそれに「不満」を頂き、それゆえ改善の余地があるという意味で「不完全」なのです。

あなたのデザインが「完全」になることは永久にありえません。あなたは必ず「不完全」なデザインをリリースすることになります。「完全」になる前にデザインを中断せざるをえない。これは避けられない宿命です。

もし「完全になってからリリース」しようと思ったら永久にリリースできません。デザインは常に不完全なまま中断される。これはデザインの原理として覚えておいていいことです。

言い換えると「完全」じゃないのに「完成」してしまうのが人工物というものです。

「完成」は常に恣意的で偶有的(べつにそこで「完成」させる必然性は無い)です。だって「完成」は「中断」でしかないのですから。

「中断」の理由は「見切り」だったり「諦め」だったり「力尽きた」だったり「時間切れ」だったり「予算切れ」だったり「orz」だったりと様々でしょう。すべてに共通するのは人為的で恣意的で偶有的であるということです。あ、作者が不慮の事故で亡くなって、みたいな「未完」は別ですけどね。

要するに「完成」は「必然的」ではない、ということが言いたいんです。ちなみにプロとしては「見切り」で「完成」させたことにしておくのがかっこいいらしいです。

とデザインの「完全性」について語ってみましたが、もしこれが「呪い」に聞こえるとしたら、あなたはプラトニックな二元論者かもしれませんね。ぼくは「完全性などという呪縛から解放されて自由になろう」と言ってるつもりです。

ぼくの考えでは、デザインの「完全性」という考え方はプラトン的・イデア論的です。「完全なデザインには改善の余地がない」という考え方からはイデア臭がします。「大きさを持たない点」「幅を持たない直線」で幾何学を論じる論法に似てます。

実在しない理想的な「完全性」をでっちあげて、それとの比較で人間の不完全さを嘆くというのは典型的な二元論・イデア論ですね。幾何学は単に道具として抽象概念を使ってるだけですが、それが理念になっちゃうと「不完全」な世界に生きる者としてはつらいです。ぼくはイデア論が嫌いです。

お気づきかもしれませんが、前述の "closed-ended/open-ended" について違う確度から論じてみました。イデア論的な「完全性」の呪縛から自分を解放できたら、次にやるべきことは "open-ended" なデザイン、インタラクティブなデザインの実践じゃないかなーと。

学会もベータ版

ちなみに「ニコニコ学会β」も「ベータ版」ですね。この世に「完全」な人工物などほとんどないのですから「学会もベータ版」というのは圧倒的に正しいと思います。

「参加者減少に歯止めがかからず研究者に提供する価値が問われる学会」ってCOBOLのレガシーシステムみたいなもんでしょうかね。数十年前に設計されて耐用年数来てる感じの。

ニコニコ学会は永久にベータ版である限り価値を失わないでしょう。と思ったら5年で終わるらしいです。それも逆に興味深いですねえ。

ニコニコ学会βには終わりがあります

学会は長く続く方がいいと考えられてきたことには理由があります。

それは、学会は研究の価値を守るためのものであり、力を備えている必要があるからです。

しかし、長く続くことの弊害もあります。

それは、環境の変化に対応しにくいことです。

ニコニコ学会βは、5年間活動を続けます。そして、活動を終えます。

その後どうなるかは、我々にもわかりません。

ニコニコ学会β | ニコニコ学会とは

懇親会

懇親会ではコンセントの長谷川さんと「インフォメーション・アーキテクチャ」「アーキテクトの公共的責任」などについて、malaさん (@bulkneets) と「ウェブ開発者の育成」「プライバシーとアイデンティティ」などについて、たっぷり議論できました。とても有意義でした。

余談

もう一つ第1回シンポジウムで印象的だったのは「創作の報酬はお金じゃない」というメッセージでした。クリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤さんや、研究20連発の宮下先生や、第5セッション「研究してみたマッドネス」の研究者達から、その力強いメッセージを受け取りました。

ニコ生アーカイブ

こちらもどうぞ → ニコニコ学会βを参照しつつ学会批判してみた

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