ソーシャル・メディアが発展しても「生身で向き合う事」は大事です

建築家丹下健三が50年前に指摘したように「間接的コミュニケーションの手段も、直接的接触の要求と必要性をますます誘発するだけ」です。会う事を「省略」しようとするのは違う。商売においても生身で向き合う事は「真っ当さ」につながるし、ソーシャル・メディアは「会わずに済ますため」ではなく「もっと会うため」に使う方がいいと思うんです。

丹下健三

「ソーシャル」と言ったときに重要なのは「会うこと」です。対面、面会、会合。

「ソーシャルメディアが発達すれば、会わなくても人間関係を構築できる」ってのは、まあ嘘ではないんですが、弱いと思うんですね。あんまり好きじゃないです、個人的には。

建築家の丹下健三が50年前に指摘しています:

ひとは、オーガニゼイション・マンは孤独であると訴える。しかしこのネットワークから見放されるとき、さらに孤独である。人々はそれに結びつこうとして結集する。電話、ラジオ、テレビ、さらに携帯電話、テレビ電話などの間接的コミュニケーションの手段も、直接的接触の要求と必要性をますます誘発するだけである。人々はメッセージを運搬し、機能相互を連絡しようと、流動する。この流動こそ、この組織を組織たらしめている紐帯である。1000万都市はこの流動的人口集団である。

丹下健三『東京計画1960』

というわけで、情報通信技術が発達しても「生身で人に会うこと」を省略しないほうがいいと思うんです。というか丹下さんは「直接的接触の要求と必要性をますます誘発する」と書いてます。「生身で人に会うこと」は「省略」なんかできない。もっと促進されるんだと。ぼくもそう思いますし、そういう社会であってほしい、そういう社会にしていきたいと思います。

この文脈で、商売においても「ユーザーと生身で向き合う事」は商売の真っ当さにつながると思うんですね。生身でユーザーに向き合う真っ当さ(例えばニコニコ動画)と書いたのはそういう意味です。

ソーシャル・メディアで「お互いに顔の見える商取引」が復活します。ソーシャル・コマースなら、なおさら「生身で向き合う事」が大事になってきます。

情報通信技術が発達しても、お客さんと生身で向き合うことを「省略」するのは、なんか違うよなあ、と思うんです。むしろ以前よりも生身で向き合いやすくなった。ソーシャル・メディアによって顔の見える存在(固有名をもった唯一の存在)として買い手と売り手が向き合いやすくなったんです。

「生身で向き合う事」は販売や運用といったフェーズで実践されるものだと思われがちです。しかし商品開発の段階からユーザーに「生身で向き合う事」は大事なんです。そのための方法がエスノグラフィやワークショップだったりしますが、詳しくはまた別の機会に。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://zerobase.jp/mt/mt-tb.cgi/1100