仮名漢字変換ソフトが確率的に少しずつ言葉を狩っていく

仮名漢字変換ソフトの辞書から意図的に「不適切語」が取り除かれることによって、確率的に少しずつ言葉が狩られていきます。そのような「間接的検閲」がいつのまにか実現してしまう未来社会の危険性と、検閲そのものの是非について考察しました。

けんえつ

はじめに

簡単な言葉を漢字変換できない仮名漢字変換ソフトがありました。その言葉はしばしば「不適切な言葉」と名指されています。もちろん私は差別的な意図でその言葉を用いようとしたわけではありませんが、変換しようとしたら、出来なかった。「もしや」と思い、他の「不適切語」も調べてみました。やはり変換できない言葉が多い。どうやら仮名漢字変換ソフトのメーカーは「不適切語」を意図的に辞書から取り除いているようです。かなりの確信を持って、そう思いました。

これは「検閲(censorship)」ではないか、と思いました。そこから出発した思考過程です。

〔※以下の議論の前提:現時点で「意図的な削除」つまり「検閲」が行われているかどうかは(前述の通り)未確認です。未来社会において「検閲」が行われる危険性についての考察ですから、現時点でそのような「検閲」が実際に行われているかどうかは関係ありません。それが実現可能であり、ひょっとしたらすでに進行しているかもしれないという現実を提示します〕

文房具が言葉を奪う

コンピュータを活用する人にとって、仮名漢字変換ソフトは文章を書くための道具であるだけでなく、考える道具にもなっています。「文房具」に喩えると、「原稿用紙」がエディタやワープロで、「ペン」が仮名漢字変換ソフトでしょう。この喩えを用いて説明します。

「仮名漢字変換ソフトの辞書から『不適切語』を取り除き変換しづらくすること」は、まるで「『不適切語』を書こうとするとインクがかすれるペンを設計すること」に似ています。そんな魔法のペンを実現できれば、の話ですが。

その「魔法のペン」では「不適切語」が書きにくいので、決して書けないわけではないのですが、途中で面倒くさくなって別の言葉で言い換えようとする人が出てくるでしょう。このペンが普及すれば、世の中から「不適切語」が減っていくことになります。

仮名漢字変換ソフトの辞書から「不適切語」が排除されているのは、この「魔法のペン」に似た事態です。たしかに、辞書に登録されていないからといって、その言葉を入力できないわけではありません。代替手段はたくさんあるわけです(たとえば平仮名でGoogleウェブ検索してもいいし、仮名漢字変換ソフトの手書き文字認識機能を使って一文字ずつ入力することもできるでしょう)。しかし、代替手段があったところで、わずかな「入力しにくさ」によっても書き手は別の言葉を探して言い換えてしまいます。

確率的に少しずつ言葉が奪われていく

この「僅かな手間によって行動が妨げられる」ということにピンと来ない人は「ゲームデザイン」について考えてみてください。ゲームのパラメータ(設定値)を変えることで、プレイヤーの行動を誘導することができるわけです。

ゲームデザインと同じように「不適切語」を入力しにくくすることで、「不適切語」の使用を(確率的に)減らすという「デザイン」が可能なのです。

このようにして「仮名漢字変換ソフトの辞書から不適切語を取り除く」ことによって間接的検閲が実現します。世の中から「不適切語を使う人」が減ること、「不適切語の使用回数」が減ること、これが検閲の目的なのですから。

このような間接的検閲は直接的検閲とは違って人々から確率的に少しずつ言葉を奪っていくのです。変化を実感することはできません。「茹でガエル」のようにいつのまにか状況が完了してしまうかもしれません。しかし、それでは遅いのです。言論の自由を守るために間接的検閲の存在を意識しておかなければなりません。

検閲の是非について

このような間接的検閲が民間企業の「自主規制」だとして、どう考えればいいでしょうか。利用者には市場における代替案(競合商品)があるので、「国家がやる検閲よりもマシだ」と言えるかもしれません。しかし、国家権力の介入無しに自主規制が行われるのだとしたら、それはそれで怖いものです。仮名漢字変換ソフトのメーカーは、もはや「言論に関わる企業」です。言論の自由・表現の自由に関して責任ある態度を求めたいと思います。

このように民間企業の自主規制は怖いものですが、単純に自主規制を批判することもできません。なぜなら国民の「この言葉を辞書から削除しろ」という圧力(不買運動など)に対抗しきれない場合もあります。たとえ「表現の自由を守る」という理念を掲げる企業であっても、「差別助長企業」といった「空気」を醸成されてしまえば会社が倒産しかねないほど事業環境が悪化するかもしれません。「倒産の危機」と天秤にかけて「言論の自由」を選ぶ経営者など滅多にいません。

さらに言えば、「あらゆる検閲を断固拒否する」という姿勢は「正義」なのでしょうか。その主張には強固な理論武装が必要です。多くの人々が「不適切語」として辞書から削除を求めている言葉があるときに、それに従わないことは「反社会的」かもしれません。

難問です。検閲に反対するロジックは簡単ではありません。ひょっとしたら「ある程度の検閲は必要」という中庸の立場が現実的なのかもしれません。だとするならば、検閲を受け入れる前提で、それが際限なく拡大しないような制限を厳密に定めておくような制度設計が必要になります。検閲権の裁量的な執行などあってはなりません。

この文章で私は「間接的検閲は近い将来実現する」と指摘しました。しかし「検閲に断固として反対すべきか」「検閲は悪いことか」については結論を保留しています。まだ考え足りないと感じています。

あなたへの質問

  • この文章の主題である「いつのまにか間接的検閲が実現している未来社会の危険性」についてどう思いましたか?
  • 検閲の是非とその理由についてはどう思いますか?
  • 仮名漢字変換ソフトのメーカーはどのように行動すべきだと思いますか?
  • もし検閲を受け入れざるを得ないとしたら、検閲権の拡大に歯止めをかけるためにどうすればいいと思いますか?

さらに考えたい方へ

この文章では仮名漢字変換ソフトを通じて「間接的検閲」について考えてきました。別のメディアについても考えることができます:

  • オペレーティングシステム(OS)が間接的検閲の対象になったらどうでしょうか?(特定の内容を含むデータを作成することも受け取ることもできなくなる)
  • プロバイダ(ISP)だったらどうでしょう?(特定の内容を含むウェブページにアクセスできなくなる)
  • ソーシャルメディア(FacebookやTwitter)だったらどうでしょう?(特定の内容を含む発言は投稿できない)
  • 検索エンジン(Google)だったらどうでしょう?(特定の内容を含むウェブページは検索結果に表示されない)

ウェブ業界人にとっては身近な問題です。ユーザー投稿型のウェブサイトに携わったことがあれば、おそらく「NGワード」を取り扱う機能の設計や運用に関わったことがあるはずです。自分事として考えてみてください。

また、「検閲」というテーマを離れて「メディアやアーキテクチャが人々の言葉に与える影響」を考えることもできるでしょう。我々の文章表現や語彙は日常的にアーキテクチャの影響を受けています(「検閲」はその特殊な例です)。本稿では「入力しにくい単語は使われにくくなる」と論じましたが、考えてみればこれは手書きについても言えることです。手書きの場合、画数が多い漢字(書きにくい漢字)や、辞書に載っていない言葉は使われにくいわけです。辞書に対する検閲や、常用漢字制度を通じた「間接的検閲」は紙・鉛筆メディアでも可能でしょう。こう考えると「紙・鉛筆メディア」と「ウェブ・アーキテクチャ」は「どっちもどっち」と言えなくもない。細かく見れば差異もありますが。

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