「出来の悪い物」に対してキレやすい人には「使い易い物」を作る才能があるかもしれません

ぼくは物を使ってミスしたときには自分を責めず、物に対して怒ります。「ユーザビリティ」(使いやすさに関する研究・実践の分野)の大御所も「出来の悪い物」に心底怒る人たちです。「使いにくさ」への敏感さは「使い易い物」作りの才能かもしれません。

航空券のインターネット予約をミスっていたことが空港で発覚しました。空席待ちで三時間遅れのフライト。とんだ休暇の始まりになりました。

物を使いこなすことができない

ぼくはこういうミスをする奴なんですが、こういうエラーにおいて「自分が悪い」とは全く思わないんですね。もちろん人に迷惑をかけたときはその人に対して「自分が悪かった」とは思いますが、それでも物に対して自分が悪かったとは思いません。ほとんどの場合で物のほうが悪いと考えます。

ぼくには物を「使いこなす」ことができない。正確に言えば「出来の悪い物」を使いこなすことができません(よくできた物には「使いこなす喜び」があります)。そして「出来の悪い」という基準が普通の人よりも厳しいので、結局ほとんどの物を使いこなすことができません。

これは使いこなす「能力」の欠如というより、「忍耐」の欠如です。

しばらく個人的な話が続きますが、ある程度の普遍性を持つ話になるはずなので、辛抱してお付き合い頂ければ幸いです。

忍耐の欠如

ぼくから見れば「出来の悪い物」を「使いこなす」ことができる人は忍耐強い。ぼくは他人の作った「出来の悪い物」を使いこなすなんて馬鹿らしいことだと思ってしまいます(ぼく自身が作り手だからかもしれません)。

物を慎重に使おうとするなんて馬鹿げていると思ってしまいます。慎重に使わざるを得ない時点で、その物は出来が悪い。慎重に使わなければエラーが生じるようなデザインには改善の余地があるはずです。

誤解されるかもしれませんが、これは決して「使いこなす」ことができる人への批判ではありませんよ。忍耐強くミスを避けるのは立派なことです。

しかし、私の考える「使い易い物」とは、何も考えなくても目的を達成できるような物。使っていることを忘れるような物です。そうでない物を使ってミスしたときに、「自分ならこうデザインしたのに」と怒るのです。

「忍耐のなさ」という「才能」

ぼくの「忍耐のなさ」は、ぼくの「傷」です。日常生活においては冒頭の例のように困ったことになります。しかし、この「忍耐のなさ」という「個性」は「才能」にもなります。「使いやすい物を作る」という仕事においては。

「ユーザビリティ」(使いやすさ)の大家たち、ドナルド・ノーマンもヤコブ・ニールセンもアラン・クーパーも「出来の悪い物から受けた酷い仕打ち」にキレる人たちです。こう言うと語弊があるかもしれませんが(物に対しては)「キレやすい」人たちかもしれません。

「使い易い物」を作るためには「使いにくさ」に敏感な感性が必要です。物に対してキレる人には、その才能があるかもしれません。

「出来の悪い物」に出会ったとき、ユーザビリティの冷静な分析なんかよりも、まず原初の「怒り」の感情がある。「出来の悪い物」への怒りを、「使い易い物」を作ることで復讐する。まるで江戸の敵を長崎で討つように。

空席待ちの空港ロビーでそんなことを考えた年の瀬でした。

引用:誰のためのデザイン?

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

私はこれまでに、さまざまな誤りを犯した人を研究してきた。機械や電灯のスイッチやヒューズ、コンピュータのオペレーティングシステムやワープロ、あるいは飛行機や原子力発電設備などを操作する際の重大なエラーやささいなエラーなどを犯した人たちである。そのどの場面においても、彼らは罪悪感をもって、自分のエラーを隠そうとするか、あるいは自分の「愚かさ」や「不注意さ」を攻めようとする。私は、悪いのはデザインであって、誰でも皆同じようなエラーをしているということを指摘するのだが、やはり、人は、課題が一見単純であったりささいなものであるように見えるとき、自分自身を責めるのである。まるで自分に機械の取り扱い能力がないということをしつこく自慢でもしているかのように見える。

ドナルド・A・ノーマン, 野島久雄訳, 『誰のためのデザイン?』, 新曜社, 1990

引用:個性とは苦しみである

「個性のもと」とは、一般性からは逸脱しドロップアウトしたところにあり、「役にたつ」とか「創造的」とは全く正反対の性質を含蓄する「破綻」なのです。さらに「破綻からの修復」という作業だって、その作業の最中にはそれが本当に「修復」なのか、逆にさらなる「破壊」なのかさえ本人には確信が持てません。そのうちほんの一部だけがたまたま他人や社会のニーズに合致しすることがあるのですが、そうなってやっとその作業が「破綻からの修復=個性」であったと事後承認されるのです。ですから言葉の定義上「使えない個性」というのはないのです。

個性とは苦しみである

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