サイバースペースにおけるアメリカのフロンティア開拓精神と合衆国憲法の理念

ゼロベース不勉強会 #3 ウェブと宇宙開発。石橋まとめ。飲酒しながら議論した、あることないこと。

アメリカの西部フロンティア開拓精神(ゴー・ウエスト)はカリフォルニアを超えてハワイ、そして日本まで到達した(1945年)。冷戦となり、万里の長城(Great Wall of China)に阻まれた開拓エネルギーは、行き場を失って上空=宇宙へと発散した(アポロ計画、1961年)。

軍事技術・宇宙開発技術の副産物として発祥・発展したIT技術は、ネットワーク上に「サイバースペース」(直訳すれば「制御された空間/宇宙」)を作り出した(1970年代)。

サイバースペースを「第八大陸」という空間の隠喩で考えてみよう。

第八大陸という新たなフロンティアを巡る覇権争いが起きている。オバマ大統領は第八大陸における権利章典 (Consumer Privacy Bill of Rights) を提出し、米国主導のフロンティア開拓に着手している。つまり、グローバルなルール作りを、米国がリードしようとしている。

オバマ大統領はこう考えているはずだ。アメリカ合衆国は英国からの独立を宣言して誕生した。統治権力からのプライバシー、つまり「放っておかれる権利 (right to be left alone)」は、アメリカ合衆国の根本教義として建国時に書き込まれたプログラムだ。そして「プライバシー権」の原始形態でもある。

「権利章典 (Bill of Rights)」という命名には、マグナカルタに由来する憲法の理念が意識されているはずだ。シカゴ大学ロースクールで憲法を教えていたバラク・オバマ大統領の野心は、「第八大陸における統治・人権の基本原理を憲法に書き込んだ人物」として名を残すことではないだろうか。

「憲法学者」オバマ大統領は、サイバースペース(第八大陸)というフロンティアの開拓と、新たな「憲法」の起草を目指す。ともに合衆国の建国理念に通じる欲望、いわば宿命だ。

バラク・オバマ大統領の署名つき文面

「ネットワーク社会における消費者データプライバシー:グローバルデジタルエコノミーにおけるプライバシー保護とイノベーション促進のための枠組み」(Consumer Data Privacy In A Networked World: A Framework For Protecting Privacy And Promoting Innovation In The Global Digital Economy)の冒頭より引用:

February 23, 2012

Americans have always cherished our privacy. From the birth of our republic, we assured ourselves protection against unlawful intrusion into our homes and our personal papers. At the same time, we set up a postal system to enable citizens all over the new nation to engage in commerce and political discourse. Soon after, Congress made it a crime to invade the privacy of the mails. And later we extended privacy protections to new modes of communications such as the telephone, the computer, and eventually email.

Justice Brandeis taught us that privacy is the "right to be let alone," but we also know that privacy is about much more than just solitude or secrecy. Citizens who feel protected from misuse of their personal information feel free to engage in commerce, to participate in the political process, or to seek needed health care. This is why we have laws that protect financial privacy and health privacy, and that protect consumers against unfair and deceptive uses of their information. This is why the Supreme Court has protected anonymous political speech, the same right exercised by the pamphleteers of the early Republic and today's bloggers.

Never has privacy been more important than today, in the age of the Internet, the World Wide Web and smart phones. In just the last decade, the Internet has enabled a renewal of direct political engagement by citizens around the globe and an explosion of commerce and innovation creating jobs of the future. Much of this innovation is enabled by novel uses of personal information. So, it is incumbent on us to do what we have done throughout history: apply our timeless privacy values to the new technologies and circumstances of our times.

I am pleased to present this new Consumer Privacy Bill of Rights as a blueprint for privacy in the information age. These rights give consumers clear guidance on what they should expect from those who handle their personal information, and set expectations for companies that use personal data. I call on these companies to begin immediately working with privacy advocates, consumer protection enforcement agencies, and others to implement these principles in enforceable codes of conduct. My Administration will work to advance these principles and work with Congress to put them into law. With this Consumer Privacy Bill of Rights, we offer to the world a dynamic model of how to offer strong privacy protection and enable ongoing innovation in new information technologies.

One thing should be clear, even though we live in a world in which we share personal information more freely than in the past, we must reject the conclusion that privacy is an outmoded value. It has been at the heart of our democracy from its inception, and we need it now more than ever.

Barack Obama

Consumer Data Privacy In A Networked World: A Framework For Protecting Privacy And Promoting Innovation In The Global Digital Economy

この文書の正式名称「ネットワーク社会における消費者データプライバシー:グローバルデジタルエコノミーにおけるプライバシー保護とイノベーション促進のための枠組み」(Consumer Data Privacy In A Networked World: A Framework For Protecting Privacy And Promoting Innovation In The Global Digital Economy) について考察しておく。

プライバシー保護とイノベーション促進は衝突するかもしれないが、その両方を大事にしていくという狙いがタイトルで謳われている。

また、消費者 (consumer) という冠がついていることにも注目しよう。政治的文脈が暗に除外されているということだ。あくまでもイノベーションの主役は私的(プライベート)セクター=民間=企業と個人だ。だから企業活動と個人生活の間での、プライバシー権の配分が課題になっている。したがって「消費者」という範疇に限ったことは、問題を過度に複雑にしないうえでは妥当だろう。

しかし、消費者プライバシー (consumer privacy) の範疇では、統治権力対人民の「パブリック対プライバシー」をめぐる問題は扱われない。少なくとも間接的にしか。サイバースペースにおける、統治権力からの「プライバシー」は、長期的には人類にとって極めて重要な問題だ。それはいったん棚上げにされている。

リンク

感想というか

それにしても「憲法学者」が大統領をやってるというのはすごいことだなあ。ていうか、サイバースペースにおいても日本が「敗戦」することのないように、そのために『失敗の本質』に学ぶべきことは色々あると思うんだ。

関連図書

Koichiro Eto tumblr - 『ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力』書評「壮大な奥行きの文化史」/江渡浩一郎 http://etocom.tumblr.com/post/4925186941

2012-05-23 再読。不勉強会#3。

「すべては宇宙開発から始まったのだ」はいいけど、なんでぼくがそれに従わないといけないの? と反感。ぼくはぼくの構想を打ち立てたい。従属的に宇宙開発=全球の構想力を後追いするのではなく。

それは「全体」を想定しないから「否定神学的」にもならない「郵便空間」的な世界観で「動物的」な生を肯定する思想になるかもしれない。「カウンターカルチャー」でも「アエネーイス」(無限の拡張)でもなく、「禁止を破るエロティシズム」による「目的のない行為そのものの快楽」を価値としてつねに安住しない開発を志向したい。みたいなことを考えてる。まだよくわからんけど。
自己意識の強い人間が社会のなかで密着しながら生きていくことには本来無理がある。プライバシーは、その緊張を緩和するための装置である。全面的な解決を目指してプライバシー権を強調しすぎると、かえって緊張が高まって不自由になる。その逆に、人々の自由な交流の妨げになると見なしてプライバシー権を廃棄すれば、かえって不安が高まり不自由になる。根源的解決策は無い。ほどほどがよい。
pp.208, 214


公(おおやけ)は私事(わたくしごと)に優先し、ときに介入してくる。
privacyはpublicがprivateな領域へ介入してくるのを阻止する「自治の権利」。

放っておいてもらう権利 right to be left alone
自己情報コントロール権 right to be forgotten

アレント:
private realm:家、市民、経済、暴力
social realm:大衆、煽動、統計、群体→全体主義
public relam:公共善

「社会」に疲れた人々に癒やしを与える
「プライベート」な領域に引きこもる
私生活、親密さ

ハーバーマス:
市民的公共性:世論の収束による公権力への対抗(個別利益から国民利益へ)
※カント「非社交的社交性」

経済的な機能を失った私生活(家)は、個人の内面性形成に役立たない(例:自宅が職場、教育の場)。
前近代では「家」で職業訓練を中心とした教育が行われていた→社会化
近代:職業訓練は企業・工場へ。教育は学校へ。

私生活の空洞化→親が子の内面性形成に関与できない
※「お手伝い」の重要性、SOHO・テレワーク

「家=私生活圏=私的領域」は単なる消費共同体へ。
消費文化が「家族の親密な関係性」を素通りしてプライバシーに浸透。→引きこもり消費、オタク、動物化
公共圏の私性化(お茶の間化)

フーコーのパノプティコン
ライアンのアセンブラージュ
オーウェルのビッグ・ブラザー

人々は「危険人物」としてマークされないように自己規制して「正しい」振る舞いをしようとする
→アイデンティティ、プライバシー、グーグル、キャッシュ、無情社会、近代的「自由」「主体」への懐疑
→真の主体性を獲得するためにはプライバシーの空間を取り戻すことが必要?うーむ
情報技術について本質的に考える上で大いに参考になった。

第二回
フロイトの精神分析枠組み=三審級間の争いは神経ネットワーク上の伝達速度・情報処理速度の違いに基づく。そのずれが「不気味なもの」として現れる。

p.29 しばしば言われるように、精神分析の革新性は、ひとりの人間の中に、知覚と運動を制御する複数の情報処理審級、意識/前意識/無意識(第一局所論)や自我/超自我/エス(第二局所論)といった構造を見いだし、それら諸審級の争いを発見したことにある。つまりフロイトは、ひとりの人間の中に複数の心的人格(psychische Persönlichkeit)を見ている。それゆえもし彼にとって「ひとりの人間」なる統一体があるとしたら、それは必然的に、それら複数の心的人格の_争いの場_、ある空間として想定されるほかない。
 →「無意識と熟議の対決の場」(『一般意志2.0』)

第四回
ディックの『ヴァリス』。情報潮流=神。情報論的汎神論。経験的/超越的、個人的意識/集合的無意識、有機的/非有機的、両者の媒介者=キリストは人間と機械のハイブリッド=不気味な存在。
 →『涼宮ハルヒの消失』の長門ですか。

第五回
スクリーンとアイデンティティの複数性。鏡像段階による想像的同一化=自己イメージの獲得。象徴界=世界の背後=大文字の他者からの不可視な視線を認識することによる象徴的同一化=社会化=社会秩序への信認。

「サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか」第五回の「スクリーンと背後の二重構造」を論じている図6が、『動物化するポストモダン』の概念図に似てるのは、きっと意味がある類似なんだろう。あとで「動ポモ」読み直そう。

ラカンによればマゾヒズムは主体の側があえて自らを律する「法=大文字の他者」を設立する倒錯。マゾヒストは絶対的自由に耐えられず、それを制限する他者(サディスト)を自ら育て上げる。この倒錯の一般化は現代社会が全体として「大文字の他者」を失いつつあること、社会全体を律する象徴秩序の弱体化、各々が勝手に「小さな大文字の他者」を設立する必要性に迫られていることを意味する。

あえて騙される→アイロニカルな没入

オンスクリーンの仮想現実に没入できるのは「象徴的同一化の機能不全(大文字の他者=国家の幻想が崩壊)」「象徴的同一化の想像的なシミュレーション」だという仮説は実証可能かも。例えば「ミクさんマジ天使」的感性と信仰の関係。なぜ日本で仮想現実が受け入れられやすいのか、とか...思いつき

1968年、ポストモダン、カリフォルニア・イデオロギーなどから『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』を再読したくなる。

「インターフェイス的主体性」は「データベース的動物」に対応してる。

インターフェイス的主体性と情報論的汎神論は、同じコインの裏表であり、カリフォルニア・イデオロギーはそのあいだに挿まれている。

190 象徴的同一化=社会化の機能不全に陥り、言葉の力だけでは主体になることができないから、言い換えれば「言葉(象徴界)が信じられない」から私たちは仮想現実に熱中するのだと...なるほど...これは『リトル・ピープルの時代』の「拡張現実」論と関係が深い。

「大文字の他者の死」=「象徴的同一化の機能不全」=「言葉が信じられない」から「熟議は不可能」なので「コミュニケーションなき政治」(『一般意志2.0』)が必要になるわけですね。それは同時に社会化・主体化が不可能で「動物化」するという話にもつながる。

197 テレビとニコ生の比較のような議論もすでに書かれてた。撮られる訓練を積んでない人がニコ生などのカメラを前にしたときの反応には世代差があると思うんだけど、それは象徴的同一化の世代差かもしれないなあ...

205 結び:「オンラインコミュニケーションの身体性」を追求する理想について。ぼくが「身体性」というときには間身体性やそれによる共感を重視している。そこではビデオチャット的な視覚的コミュニケーションが重要だと思っている。しかし、それは現実のオンラインコミュニケーションにおいて不可避な「時間的不一致」を否認する態度でもある。むしろ視覚的撹乱と時間的不一致を肯定したコミュニケーションを考えることもできるはず。それが例えばニコ生と熟議の組み合わせなんだろう。

327 「サイバースペース」は空間的、場所的、地理的なヒエラルキー。「不気味なもの」が外部に排除される(サイードのオリエンタリズム)。しかし本来サイバーメディアは地理的なヒエラルキーを壊す。
集英社インターナショナル
発売日:2006-03-24

なぜ憲法なのか。憲法とは何なのか。憲法には人類が学んできた叡智が詰まっている。現代日本の問題は、突き詰めれば「憲法が死んでいること」に起因する。憲法の理念を活かすも殺すも人々がその理念を支持するか否かにかかっている。
『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』を読み終えた。『流れを経営するー持続的イノベーション企業の動態理論』を著した野中郁次郎氏の力作。或る公演で「機銃掃射する米戦闘機パイロットと目が合った時、彼がニヤリと笑った気がした」と。敗戦に動機付けられた学問の平和的到達点。

目的の曖昧さと指示の不徹底
→目的を明確に。指示を徹底的に。

合理性ではなく人情論による作戦決定
→合理的に。

会議の席上で直接の反論をせず、雑談で疑問を呈し不同意を表明する態度
→反論は会議で。

グランド・ストラテジー(大戦略)の不在
→「何をもって成功とするか」の明確な定義

概念の創造と操作(科学的方法論、論理実証主義)の能力不足

高級指揮官の行動を細かく規制する統帥綱領(聖典化、視野の狭窄化、想像力の貧困化、思考の硬直化)
→現場の柔軟な行動を縛るな。

「微妙な表現でそれとなく伝える」「察して欲しい」曖昧なコミュニケーション
→はっきり伝えろ。

組織の環境適応は、仮に戦略・資源・組織の一部あるいは全部が環境不適合であっても、それらを環境適合的に変革できる力があるかどうか。
→自己革新組織

日本軍は環境に適応しすぎて失敗した

「分化(differentiation)」と「統合(integration)」という相反する関係にある状態を同時に極大化している組織が、環境適応に優れている

組織の戦略原型が末端にまで浸透するためには、組織の成員が特定の意味や行動を媒介にして特定の物の見方や行動の型を内面化していくことが必要である。このようなパラダイムの浸透には、とりわけ組織のリーダーの言動による影響力が大きい。

年功序列型の組織では、人的繋がりが出来やすく、またリーダーの過去の成功体験が継続的に組織の上部構造に蓄積されていくので、価値の伝承は取り立てて努力をしなくても日常化されやすいのである。

このようなリーダーシップの積み上げによって、戦略・戦術のパラダイムは、組織の成員に共有された行動規範、すなわち組織文化にまで高められる。組織の分化は、取り立てて目を引くでも無い、ささいな、日常の人々の相互作用の積み重ねによって形成されることが多いのである。

組織学習(organizational leraning)
学習するのは、あくまで一人ひとりの組織の成員である。したがって組織学習は、組織の成員一人ひとりによって行われる学習がたがいに共有され、評価され、統合されるプロセスを経て初めて起こるのである。そのような学習が起こるためには、組織は、個々の成員に影響を与え、その学習の成果を蓄積し、伝達するという学習システムになっていなければならない。

不均衡の創造
適応力のある組織は、環境を利用して絶えず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。あるいはこの原則を、組織は進化するためには、それ自体を絶えず不均衡状態にしておかなければならない、と言ってもいいだろう。不均衡は、組織が環境との間の情報やエネルギーの交換プロセスのパイプをつなげておく、すなわち開放体制(オープン・システム)にしておくための必要条件である。完全な均衡状態にあるということは、適応の最終状態であって組織の死を意味する。逆説的ではあるが、「適応は適応能力を締め出す」のである。(...)環境が変化した場合には、諸要素間の均衡関係を突き崩して組織的な不均衡状態をつくり出さねばならない。

自律性の確保
自律性を確保しつつ全体としての適応を図るためには、組織はその構成要素の自律性を確保できるように組織の単位を柔構造にしておかなければならない。自律性のある柔構造組織、すなわちルース・カプリング型組織の特色は次の通りである。(略)
自律性を与える代わりに業績評価を明確に(信賞必罰)。

創造的破壊による突出
ゆらぎ→不安定域を超えて新しい構造へ飛躍
漸進的変化だけでは不十分 突然変異が必要
真価は創造的破壊を伴う「自己超越」現象

自己革新組織は、たえずシステム自体の限界を超えたところに到達しようと自己否定を行う。進化は創造的なものであって、単なる適応的なものではない。

創造的破壊は、ヒトと技術を通じて最も徹底的に実現される。

異端・偶然との共存
およそイノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。

知識の蓄積と淘汰
進化する組織は学習する組織
米海兵隊の戦争教義(ドクトリン)は海兵隊学校を中心に開発された。
戦略的思考は日々のオープンな議論や体験のなかで蓄積される。
教官と学生が一体となった自由討議
このような戦略・戦術マインドの日常化を通じて初めて戦略性が身に付く。

統合的価値の共有
自己革新組織は、その構成要素に方向性を与え、その協働を確保するために統合的な価値あるいはビジョンを持たなければならない。
組織成員の間で基本的な価値が共有され信頼関係が確立されている場合には、見解の差異やコンフリクトがあってもそれらを肯定的に受容し、学習や自己否定を通してより高いレベルでの統合が可能になる。
日本軍は、アジアの解放を唱えた「大東亜共栄圏」などの理念を有していたが、それを個々の先頭における具体的な行動規範にまで詰めて組織全員に共有させることは出来なかった。このような価値は、言行一致を通じて初めて組織内に浸透するものであるが、日本軍の指導層のなかでは、理想派よりは、目前の短期的国益を追求する現実派が主導権を握っていた。

日本軍の失敗の本質とその連続性

日本軍は、独創的でかつ普遍的な組織原理を自ら開発したことは無かった。
欠陥の本質は、日本軍の組織原理にある。陸軍は、ヨーロッパから官僚制という高度に合理的・階層的組織を借用したが、それは官僚制組織が本来持っているメリットを十分に機能させる形で導入されていなかった。
官僚制と集団主義が奇妙に入り交じった組織
階層がありながら、ほどよい情緒的人的結合(集団主義)と個人の下克上的突出を許容するシステムを共存させていた。それが機能しえたのは、1現場第一線の自由裁量と微調整が機能する、2すぐれた統合者を得て有効な属人的統合が為される、3自動的コンセンサスが得られる状況にある(勝ち戦、白星、成長期)、などの条件が満たされた場合だけであった。
以上の点から、日本軍は、近代的官僚制組織と集団主義を混在させることによって、高度に不確実な環境下で機能するようなダイナミズムをも有する本来の官僚制組織とは異質の、日本的ハイブリッド組織を作り上げたのかもしれない。しかも日本軍エリートは、このような日本的官僚制組織の有する現場の自由裁量と微調整主義を許容する長所を、逆に階層構造を利用して圧殺してしまったのである。そして、既述したように、日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった、ということであった。

戦略について
日本企業の戦略は、論理的・演繹的な米国企業の戦略策定に対して、帰納的戦略策定を得意とするオペレーション志向である。
・継続的な変化への適応能力
・大きなブレイク・スルーを生み出すことよりも、一つのアイデアの洗練に適している

組織について
日本企業の組織は、米国企業のような公式化された階層を構築して規則や計画を通じて組織的統合と環境対応を行うよりは、価値・情報の共有をもとに集団内の成員や集団間の頻繁な相互作用を通じて組織的統合と環境対応を行うグループ・ダイナミックスを生かした組織である。その長所は、次のようなものである。
1 下位の組織単位の自律的な環境適応が可能になる
2 定式化されない曖昧な情報を上手く伝達・処理できる
3 組織の末端の学習を活性化させ、現場における知識や経験の蓄積を促進し、情報感度を高める
4 集団あるいは組織の価値観によって、人々を内発的に動機付け大きな心理的エネルギーを引き出すことができる

長所も短所
組織
1 明確な戦略概念に乏しい
2 急激な構造的変化への適応が難しい
3 大きなブレイク・スルーを生み出すことが難しい
組織
1 集団間の統合の負荷が大きい
2 意志決定に長い時間を要する
3 集団思考による異端の排除が起こる

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