ソーシャル・リクルーティングから生まれるコミットメント

「面倒くさい」コミュニケーションのプロセスを経て、お互いに入替不可能な関係ができることによって、長期的なコミットメントが生まれ、会社は社員をじっくり育てようとするし、社員もすぐに辞めずに頑張る。このような関係性をつくるために、ソーシャル・リクルーティングの面倒くささには意味があると言えるのです。

【編注:半年ほど塩漬けしていた文章です。まだ文体が硬い頃の文章なのですが、腐るよりマシなので、あまり手を加えずに公開します。】

「ソーシャル・リクルーティング」を「人間関係に基づく採用活動」と定義します。ソーシャル(social)という言葉の「社会的」という意味よりも「社交的」の意味に重きを置いた定義です。

これは「ソーシャル・コマース」の「人間関係に基づく商取引」という定義と整合的です。

ソーシャル・メディアで「お互いに顔の見える商取引」が復活します

先に結論を言えば、求職者と求人企業がお互いの固有性にもとづいてコミュニケーションする先に「よい就職」が実現するはずです。そのために「ソーシャル・リクルーティング」が役立ちます。

「ソーシャル・リクルーティング」は「コネ採用」?

「人間関係に基づく採用活動」とは何でしょうか。入替不可能な人間関係の先に「一緒に働きましょう」「うちにきませんか」という言葉がどちらともなく出るような採用の在り方のことです。ある意味では「コネ採用」。

相手を「属性」で見ると「入替可能」な関係になってしまう

現在一般的な就職・採用のスタイルでは:

  • 求人企業が求職者を人材要件に照らして評価します(出身校、年齢、職歴、経験、スキル、...)
  • 求職者が求人企業を労働条件で評価します(業界、職種、勤務地、給与、休暇、福利厚生、...)

お互いに相手を「属性」で記述・理解します。それはお互いが入替可能な関係性になることを意味します。スペック表から商品を選ぶ「カタログ・ショッピング」のような関係性です。

「入替可能」とは「その相手でなくてもいい」「同じ条件を満たすほかの候補があればそれでもいい」ということです。「属性」(条件)があわなくなれば「ハイさよなら」ということです。

もちろん、「完全な入替可能性」はドライで世知辛く、「完全な入替不可能性」はウェットで不自由です。ほどほどがいい。その上で言えば、現在の採用市場は、入替可能性が高すぎませんか

入替可能性を高める「市場」の思想

なぜ雇用関係がここまで入替可能になってしまったのか」という疑問が生じます。おそらくは「採用市場」「人材市場」といった「市場」の思想に由来しているはずです。

「市場」の思想にどっぷり浸かった「買い手」(求人企業)と、「売り手」(求職者)は、お互いを属性化して、「ふさわしい属性の相手」を探します。

お互いを属性によって記述・理解することで、お互いの固有性が失われ、入替可能な関係性になってしまいます。

ドライなギブ&テイクの関係性です。「しがらみ」がないのは良いことですが、「きずな」がないことと表裏一体です

入替不可能な人間関係の延長としての採用活動

「入替不可能性」は「唯一性」です。「その人(その会社)でなくてはならない」という関係性のことです(もちろん、程度問題ですが)。

人や会社を属性化すると、固有性が失われます。固有性は、属性で記述しようとしても記述しきれずにこぼれ落ちる部分にあるものです。

私は「ソーシャル・リクルーティング」を「人間関係に基づく採用活動」と定義します。ソーシャル・リクルーティングの価値は、求職者と求人企業の入替不可能を高め、唯一性を取り戻すことにあります。

〔注:「入替不可能性」を絶対の価値とする思想にも問題があります。「入替不可能性」が絶対なら、最も入替不可能な親子関係にもとづく就職が「善」になります。それは要するに家業相続の絶対化です。鍛冶屋の子は鍛冶屋にしかなれない社会。これは中世的な伝統主義への反動回帰で、現代人にとってのリアリティはないでしょう。例えば職業的階級格差の固定化を肯定してしまうわけで。〕

「Facebookを使った採用活動」が「ソーシャル・リクルーティング」なのではない

ちまたで「ソーシャル・リクルーティング」と呼ばれている活動のなかには、ここでの定義にあてはまらないものがあります。

例えば、Facebook上に作った採用ページを何人が「いいね!」してくれたか、その数を競うような思想と実践。そこにある関係性は「入替可能」です。

採用ページの「いいね!」の数を競うような活動は、「Facebookというソーシャル・メディアを用いたマス・リクルーティング」です。入替可能性が高いマス・マーケティング的なリクルーティングです。私が考える「ソーシャル・リクルーティング」とは別のものです。

「母集団形成」にご用心

ソーシャル・リクルーティングを実践するときには「母集団」という言葉に気をつけて下さい。「母集団」という言葉を用いると、「マス・マーケティング」のパラダイムで考えることになります。

「母集団」という概念は「市場」や「マーケティング」の思想からきています。一人ひとりの顔を見ず、集団を属性で区分する(セグメンテーション)ということです。

以前の私は「採用はマーケティングだ」という言葉を気に入っていましたが、いまは「『マーケティング』という言葉が意味する人間関係の入替可能性」に敏感になりました。

ソーシャル・リクルーティングは非効率で、正直面倒くさいです。マス・マーケティング的なリクルーティングのほうが簡単に採用できます。ただし、簡単に採用できる人は、簡単に辞めてしまうものです。入替可能性が高いというのは、そういうことです。

簡単に言えば、「ソーシャル・リクルーティングを推進しよう」というのは、「一人ひとりの求職者ときちんとコミュニケーションをしよう」という話です。それも、「会社-対-人」ではなく「人-対-人」の関係性を大事にしましょうということです。担当者の顔が見えないコミュニケーションをすることは、「我が社では人間は入替可能だと考えています」と言ってるのに等しい。その在り方は「ソーシャル」ではありません。

学生にありがちな就職観

学生の就職観も、自らを「幸せな就職」から遠ざけています。〔注:いきなり「幸せな就職」という曖昧な言葉を無根拠に持ち出していますが、あとで簡単に説明します。〕

次のような思い込みが「幸せな就職」を妨げます:

  • 天職幻想 どこかに自分にとっての「天職」があるに違いないと信じる「青い鳥症候群」です。「青い鳥」を追っている限り幸せにはなれないでしょう。まずは自分の足下を見つめ直し、いまいる場所で精一杯生きる「石の上にも三年」「住めば都」の思想への転換が必要です。必要なのは「天職」を見つけることではなく、「どんな環境でもそれなりに幸せに生きていく能力」のほうです。〔もちろん、「現状をすべて肯定し、転職するな」という意味ではありません。そんな単純な話ではありません。そして、本当に辞めた方がいいかどうかの見極めは、極めて個別的で実存的な問いです。したがって、ここで一般論を語ることに何の意味もありません。〕
  • 就職偏差値主義 「就職人気企業ランキング」や世間体を気にして、すこしでも「いい会社」に入りたいという考え方。こういう人は就職を大学入試と勘違いしています。職場は「偏差値」のような単一の価値観で序列化できるものではありません。会社の価値観や社風は多様です。就職は「受験」より「恋愛」に似ています。漠然とした「客観的基準」での「いい相手」や「美人」ではなく、自分にとっての「相性のいい相手」を見つけるほうが、よほど幸せになれるでしょう。

こういう学生らしい思い込みはOB/OG訪問で解消できます。世の中でどれほど多くの人が「第一志望ではなかった会社」で幸せに働いてるかを知ればいいだけのことです。例えば、出版業界では「バイトで入った会社で編集長になった」みたいな話がゴロゴロしているわけです。

「幸せな就職」にとって「天職」や「就職偏差値」らしき要素が不要であることの証明は簡単です。ただし、いくら語って聞かせても納得してもらえない。目の前に「現物」を連れてくる(というか学生から訪問するのですが)ほうが早い。ですので、学生にOB/OG訪問を推奨しています。

「幸せな就職」のとある典型

私の考えでは、もちろん「幸せな就職」の姿は多様ではあるものの、「スーパーエリート」や「どうしようもない人」を除く大多数の人にとって手の届く「幸せな就職」の一つの典型があります。

「偶然ご縁があった会社」に入社して、「石の上にも三年」のつもりで働いているうちに仕事が面白くなってきて、気がつけば「住めば都」になっていた

人によっては「これが天職」と言えるほど愛着を持つようになるかもしれませんが、重要なのは、最初から「天職」と思って入社する必要はないということです。たいていの人は、働いてみる前にそれが自分に向いているかどうかなんて分からないわけです。〔注:したがって、就業体験・職業訓練としてのインターンシップ(日本型1dayインターンシップなるものを批判しつつ)の話もしたいのですが、それは別の機会に。〕

こういう就職が実現するためには、「ロールモデル」と「コミットメント」が必要です。

  • ロールモデル 「こういう人物になりたい」と思える先輩。そういう人物の苦労話を聞いて、「こういう人物になるには、こういう苦労が必要」と知ること。「自分が引き受けたい苦労」をイメージできるようになること。
  • コミットメント 「この会社でなら苦労を乗りこえられる」「この会社での苦労には意味がある」と思えること。そのためには属性的(カタログ・ショッピング的)ではなく唯一的で濃密なコミュニケーションを通じた納得の醸成が不可欠。これだけ深く理解しあって、納得して入社したのだから、簡単に退職しない、というコミットメント。

なお、会社からのコミットメントも重要です。会社からのコミットメントが低ければ、「すぐ辞めるかもしれない」と腰が引けて「即戦力採用」になります。教育訓練投資を渋ることになる。ポテンシャルで採用して、じっくり育てる、ということもない。つまり、「鍛えれば使えるようになるはずの人材」に就業機会が巡ってこない。

この状況を変えるには、お互いのコミットメントを高める必要があります。お互いに納得できる採用・就職を実現することです。そのカギは、お互いの入替不可能性を高めるコミュニケーションのプロセスにあります。それは入社後も続きます。

ソーシャル・リクルーティングを通じた「幸せな就職」が増えるためには、求職者と会社が共に変わらなければなりません。会社はソーシャル・リクルーティングの実践を通じて変わります。求職者の「天職幻想」や「就職偏差値主義」を変えるほうが難しいと思います。これは大きな課題です。

おわりに

「面倒くさい」コミュニケーションのプロセスを経て、お互いに入替不可能な関係ができることによって、長期的なコミットメントが生まれ、会社は社員をじっくり育てようとするし、社員もすぐに辞めずに頑張る。このような関係性をつくるために、ソーシャル・リクルーティングの面倒くささには意味があると言えるのです。

この文章は、簡単に言えば、「しらがみを取り戻そう」と言ってるわけですから、反発する方もいるでしょう。ですが、そもそも私は「ソーシャル・リクルーティングの全面展開」など提唱していません。エコシステムにおける棲み分けを前提に、「新種」を登場させて多様性を増やそうとしているのです。ただ、おそらくこのような「幸せな就職」観に共感してくれる人は多いはずだと信じていますが。

「みらいのふつうをつくる」「思想を実装する」をモットーとするゼロベースとしては、このような思想で茶会人訪問というOB/OG訪問マッチングサービスを開発しています。学生さんは、ぜひ使ってください(もちろん私も登録しています)。OB/OG訪問を受けていい、という社会人の方も、ぜひ登録してください。お願いします。

リンク

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://zerobase.jp/mt/mt-tb.cgi/1136