「(情報)アーキテクト」原論

「インフォメーション・アーキテクト」は「アーキテクト」(建築家)としての社会的責任を引き受けるべきではないでしょうか。情報建築家と物理建築家(既存の「建築家」のこと)の接点を増やす活動を模索したいと思います。

「情報アーキテクト」と「情報デザイナー」の違い

ウェブ産業には「インフォメーション・アーキテクト」(もしくは「情報アーキテクト」や「IA」)を名乗る人がいます。「情報アーキテクト」をどう捉えるかについては二通りの考え方があるようです。

圧倒的多数の人は「情報アーキテクト」を「情報デザイナーよりも上位のレイヤーで設計するデザイナー」として理解しているようです。

一方、私は「情報アーキテクト」を「アーキテクト(建築家)のなかでも情報アーキテクチャ(情報建築)に特化しているアーキテクト」と捉えています。

例えば、ランドスケープ・アーキテクトに「私は建築家ではありません」と言われても、私には言葉の意味が理解できません。ランドスケープ・アーキテクトは、どう見ても「アーキテクト」(建築家)でしょう。

そう考えれば、インフォメーション・アーキテクト (IA) が「私は建築家ではありません」と言うのは、それと同じくらい奇妙なことです。

「○○アーキテクト」は、「○○」の専門家であると同時に「アーキテクト」(建築家)であるべきでしょう。

「情報アーキテクト」は「情報デザイナー」であると同時に「アーキテクト」であるべきでしょう。

そもそも、「情報デザイナー」でもいいのに、なぜ「情報アーキテクト」と名乗るのでしょうか。「アーキテクト」と名乗るならば、実際に「アーキテクト」(建築家)であるべきではないでしょうか。

元祖「情報建築家」のリチャード・ソール・ワーマン

べき」という強い言葉を用いました。そこには根拠があります。そもそも誰がどのような意図で「情報建築家」という言葉を作り、その肩書きを最初に名乗ったのでしょうか。その原点に立ち返ってみましょう。

「インフォメーション・アーキテクト」(情報建築家)の元祖はリチャード・ソール・ワーマンです。

建築家は人間の生活環境を構想、提案、設計する職業です。ワーマンは情報爆発の時代における人間の生活環境を危惧しました。情報の氾濫から〈人間〉を守るために、建築家が情報空間もデザインの対象とすべきだと考え、「情報建築家」を名乗り、様々な情報デザイン・プロジェクトを手掛けました。

例えば、Understanding USAという仕事では、データ・ビジュアライゼーションやインフォグラフィック(と最近呼ばれるような)などの情報デザイン手法によって、アメリカ合衆国に関する統計データをデザインしました。

〔※関連記事:understanding usa infographics - information aesthetics

また、有名なTEDカンファレンスを立ち上げたのもワーマンです。『それは「情報」ではない。』という著書も有名です。

ワーマンはアーキテクトとして近代的な責任の取り方をしたように見えます。TEDのように象徴的な「モニュメント」によって人々を統率するようなアーキテクチャをデザインしました。そのような建築思想からルイス・カーンの影響を感じます。ワーマンはカーンの薫陶を受けています(※ワーマンのプロフィール)。

結局、リチャード・ソール・ワーマンは、「情報建築家」である前に「建築家」であったと言えるでしょう。文字通り「情報空間を専門とする建築家」の意味で「情報建築家」と名乗ったのです。

現代の「インフォメーション・アーキテクト」

「ワーマン」という原点に立ち返ってみると、ウェブ産業の「インフォメーション・アーキテクト (IA)」の大多数は「建築家」らしくありません。そもそも建築家としての専門教育を受けていませんし。それは仕方ないにしても[脚注1]、建築家が社会の中でどういう役割を果たしているのかを理解していない人も多いと思います。

「インフォメーション・アーキテクト」という言葉を、スキルやプロジェクト体制内の役割を指す言葉であるように使うのもおかしいと思います。「私はIAができます」というのは、「私はアーキテクトができます」「私は建築家ができます」というくらい変な言葉です。それよりも「私はIAです」と言うほうが、私にはしっくり来ます。

「インフォメーション・アーキテクト」はプロジェクト内の役割でもなければ、会社に与えられる肩書きでもありません。一つもプロジェクトを手がけていないときも、会社に所属していないときも、インフォメーション・アーキテクトであるべきです。

「インフォメーション・アーキテクト」は、人から与えられる呼称であるべきではなく、プロフェッショナルとして自ら名乗るべき肩書きなのです。つまり、そこには職業的アイデンティティが伴います。

だから、「私はIAができます」という言葉よりも、「私はIAです」という言葉のほうがしっくり来るわけです。

「アーキテクト」の社会的責任

近代の建築家は、都市の在り方・社会の在り方を、構想・提案・設計する存在でした。そのような建築家像は、まだ開発途上の情報空間においても有効だと考えます。[脚注2]

情報空間は資本主義的・拝金主義的な動機だけに駆動された乱開発の対象になっていますインフォメーション・アーキテクト(情報建築家)は情報空間の開発に思想と倫理を持ち込むことができる職業です。

インフォメーション・アーキテクトは、建築家(アーキテクト)としての職業倫理(エシクス)や規律訓練(ディシプリン)や言説(ディスコース)を取り入れて、社会的責任を果たすべきではないでしょうか。わかりやすく言えば、建築家になる必要があるのではないでしょうか。

そのためにも、情報建築家と物理建築家(既存の「建築家」)の接点を増やしていきたいと思います。お互いに学び合うような機会を。

(※というわけで、建築関係の方の不勉強会へのご参加を、心よりお待ちしております)

脚注

  1. かくいう私自身も正規の建築教育を受けたわけではありません。独学で建築的思考を身につけるべく努力はしていますが。私は「正規の建築教育を受けていなければインフォメーション・アーキテクトを名乗ってはならない」と言いたいわけではないのです。独学でいいから、建築的思考を身につける努力を一緒にしましょうと言いたいのです。

  2. 私の議論が比較的大規模なアーキテクチャを手がけるアーキテクトに偏っていることを認めなければなりません。また、それがゆえに「近代的建築家像」を模範としていることもまた自己批判的に認めざるをえないでしょう。大規模な(具体的な規模感を言えば、数百万人が日常的に利用するような)ウェブサービスは社会に大きな影響を与えることになるので、それだけアーキテクトの負うべき社会的責任も大きくなります。そこでの社会的責任の取り方として「近代的建築家像」が模範になると考えるわけです。数百万人が日常的に利用するアーキテクチャは「都市」にも匹敵する近代建築なのですから、「都市計画」に匹敵する社会的責任や職業倫理が伴ってしかるべきでしょう。

関連情報

最初に読んだときは面白かったが、いまはそうでもない。とはいえインフォメーション・アーキテクト史的に重要な本だ。
最初に読んだときは面白かったが、いまはそうでもない。でもインフォメーション・アーキテクト史的には大事。
古典で原点
15人の建築家とのオムニバストーク。建築思想の初学者によいと思う。

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