人間は死んでいる時間のほうが長い

〔この文章は、推敲された論文ではなく、一人語りを文字起こししたものです〕

人間は、生きているよりも、死んでいる時間のほうが長い。

「我々は生きている時間よりも死んでいる時間のほうが長い」という着想から「死者こそ主体である」と唱えた思想家っているかな?「死者の存在論」を考えたい気分。

ここでの「主体」の意味は「政治的に承認され、尊厳を認められるべき存在者」という独特のニュアンス。

死者こそ主体なので、自殺は罪に関わらないし、墓参りは実際的なコミュニケーションになる。あ、沖縄の生前葬はヒントか。

「死者こそ主体」ならば、靖国神社に合祀された戦死者を追悼し、彼らの遺志である国家としての供養は当然である、という保守的な話になる。

「死者こそ主体・存在者である」という思想は非宗教的に展開できると思う。死者を弔うのは主体間の実際的なコミュニケーションであって、存在しないものに関わる超越的な行為などではない、とか。

「死者こそ主体・存在者である」という思想は、近代的主体の概念とかなり食い違ってくる。統治原理たる一般意志も死者という主体の一般意志でなければならない。

死者を主体とする民主主義は、かなり利他的というか結果の平等を重んじる社会になるのではないだろうか。死者と未来の子孫を主体として組み込んだ統治になるので。

めちゃくちゃ保守っぽい思想になる。

死者を「かつて存在したものの記憶」ではなく「現に存在するもの」とする死者の存在論を考えるのにお盆や怪談の季節は適してる。

『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX Individual Eleven』では決定的な瞬間で「肉体的死後の電脳的生は存在するか」という重要な問題への回答が棚上げされた。

ちなみに、ミサイル炸裂して数万人電脳空間で生き続けるというのは情報哲学者ルチアーノ・フロリディ的にはアリだ。そうして生きる情報思念体は主体であり権利もある。まさに人形遣いが政治亡命を要求したように。

「ネクロマンサー」といったタイトルでSFにしたいテーマ。

でも、じつはすごく実践的な問題。ソーシャルメディア上での「死者」との接し方を考えておかないと、いずれ困る。

Business Media 誠:古田雄介の死とインターネット:有料サービスは死亡した会員をどうやって知り、どう処理する? (1/3)

ネット用語で「まだあのアカウントは生きてる」っていいますよね。文字通り「生きてる」とみなせるかもしれない。

本人の代わりに本人と見分けのつかない反応をするチャット・ボットが開発されたら、我々は「死者」とコミュニケーションできる。それどころか「死者」が「主体的」に何か要求してきたとき、我々はどうすべきか。

攻殻機動隊の人形遣いが政治亡命を要求するシーン。あそこで何を考えればいいのか。

攻殻機動隊のイワサキ社長(全身ロボット)とAIのプロト君、どっちをより人間らしいと思えるか。イワサキ社長の電脳がAIに入れ替えられたとして、何か不都合はあるか。

ゴーストの有無がAIと人間を分けるのか。プロト君の「死」に感情は動かないか。

こういった問題に対して、「死者こそ主体であり、生者はたまたまその一生の期間だけ肉体的に『生きている』に過ぎない」という立場からはシンプルな答えが導き出せる。

主体とは情報的存在者のことであり、肉体的生命とは無関係である。

「死者」とコミュニケーションできるなら、「死者」同士もコミュニケーションできる。

先立った妻に、あの世で会えればと願う。

人類が肉体的に絶滅したあとで、データセンターが再生可能エネルギーでメンテフリーに稼働し続ける状況を、地球外から観察すれば、人間は生き続けている。

死者の(クラウド上の情報思念体どうしの)コミュニケーションが連鎖する社会では、人間は肉体的死から解放される。生者は一生のあいだにクラウドをメンテし、子孫をつくり、仕事を引き継ぎ、死者の仲間入りをする。

ここまで書いたところで『ゼーガペイン』というアニメ作品を教えてもらった。いくつかの重要な問いが意識されつつも回避されている印象を受けた。きちんと回答してない。

結局は肉体を取り戻したいのか。物理的存在が重要なのか。寿司食ってた奴は何だったんだ。

イエルは最後にどうなった。幻体とリザレクションの原理から類推すると、イエルが人間になれない理由はない。これは設定上も物語上も重要な点だが、結論は放棄された。

ともかく。

肉体を失っても幻体として半永久的に行き続けられる量子サーバーという装置は、未来の「墓場」になるだろう。そのとき「死」という概念も様変わりするだろう。

私が死ぬときには、すでにこのような変化が始まっているだろう。

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追記

追記

modern fart | 「何歳まで生きますか?」phaさんに聞く【前編】

そう言えば、Twitterのあるユーザーの人が「自分が死んでも『死んだ』って誰もネットで書かないでほしい、そうすれば自分はネットの中でずっと生きられるから」って言ってたんですけど、それにはすごく共感するんですよ。Twitterでしか知らない人がたとえ死んだとしても、「最近更新ないなー、ネット飽きたのかな」って思うくらいだし、もしくはbotがその人になりすましてずっと同じような発言をしてたらそれでいい気もするんですよね。どうせ会うこともないんだし。

──いずれはみんな死ぬんだけど、自分が直接その死を確認できるのは実はものすごく限られている。果たして今生きてるのか死んでるのか全然わからない知り合いもいるわけで、それならその「わからない状態」のまんまでいいと。

pha Twitterでその人の過去の発言をずっとポストし続けるbotがあったら、読者にとってはそれでいいと思うんですよ。僕が死んだら僕のTweetをランダムに発言しつづけるbotを動かしておきたいし。そうやってbotと人間、死者と生者が混在しているタイムラインになったら、その状況は面白いなと思いますね。

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