ウェブ開発における価値の訴求

〔この文章は、推敲された論文ではなく、一人語りを文字起こししたものです〕

『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』『CODE 2.0』『アーキテクチャの生態系』『情報自由論』『思想地図β』のような語彙でアーキテクチャを語れて作れるアーキテクトを増やしていきたい。師弟関係か私塾が有効な人材育成方法だと思ってる。

クライアントと新規事業を企画するときに東浩紀、柳宗理、ジョージ・リッツァ、クレイトン・クリステンセン、野中郁次郎とか引用しながら議論してる。読書会っぽいことをやる場合もある。あるいは本は使わず引用もせず対話のなかでクライアントからコンセプトを引き出す術もある。あの手この手。

アラン・クーパーの『コンピュータは、むずかしすぎて使えない!』は名著だけど、「ゴール・ダイレクテッド・デザイン」系UCD手法は嫌い。なにが「ゴール」だ。そんな「安全」「安心」「便利」「快適」みたいな価値観を追求した結果として人間がほんとうに幸せになるの?っていう美学的批判が必要(宮台的批判視座)。

お気楽に「ゴール」って言っちゃうスコープの耐えられない狭さ

アーキテクトを手っ取り早く一定の批評水準に引っ張り上げるうえで宮台真司&東浩紀のテキストを入り口に社会評論をたくさん読んで自分なりの社会思想の芽を育てていくのは有効だと思う。建築学生にくらべて、ウェブ分野のアーキテクト教育に欠けてる部分。非常にまずい。ウェブ乱開発に歯止めをかけるのは思想の力。

人間・社会・世界について建築系なら大学生や院生(修士課程)が立派な考えを持っているのに対してウェブ系の「アーキテクト」にはそういう人文知・教養が欠けがち。教育の問題。デジハリや多摩美情デで教えだしたら数年で変わる?

思想はビジョンに先立つ。

情報デザイン系の卒業制作を見に行っても、建築系のような人間・社会・世界についての思想・批評・哲学の深みがまるでなくてがっかりする。安心安全便利快適ユーザビリティみたいな、なんら価値を訴求してない卒制ばかりで残念すぎる。情デ教員のみなさんと一緒に教育を見直す対話をしたい。

社会的価値を訴求せず「安心安全便利快適ユーザビリティ」しか考えてない情報デザイン、アーキテクチャがなぜ問題なのか。使い手も作り手も入替可能な存在に貶められるから。一種の〈郊外化〉。「安心安全便利快適ユーザビリティ」は固有の〈価値〉を実現・訴求するうえでの〈衛生要因〉に過ぎない。

「安心」「安全」「便利」「快適」「ユーザビリティ」みたいな〈衛生要因〉の追求なんていう低付加価値労働は外国にアウトソーシングしよう。日本で働くならもっと文脈依存的で固有な価値を訴求・実現するような仕事をしたい。

ローコンテクストなデザインを否定してるわけじゃないし、やっていきたいけど、ハイコンテクストなデザイン実践が足りないんじゃないかという問題意識。ローコンテクストなデザインには文化や地域性を突き抜ける力がある(TwitterやLINEのような)。

コンテクストのハイ/ロー両方でいい仕事をしていきたい。

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