シェア考

国際大学GLOCOM「フューチャー・テクノロジーマネジメント(FTM)フォーラム」2回ラウンドテーブル(Green-Table)「シェア経済を合理的に説明するために」に参加して、議論を聴講しました。そこから考えたことを書きました。

国際大学GLOCOM「フューチャー・テクノロジーマネジメント(FTM)フォーラム」2回ラウンドテーブル(Green-Table)「シェア経済を合理的に説明するために」

  • 日時: 2012年10月18日(木)18時~20時30分
  • 会場: 国際大学グローバル・ コミュニケーション ・センター     (東京都港区六本木6-15-21ハークス六本木ビル2F)
  • 地図: http://www.glocom.ac.jp/access/

このイベントに参加して考えたことを書きます。主にリユースとコユース(後述)に関して。

〈シェア〉と経済成長

〈シェア〉はモノの流動性を高めます。あるいは利用効率や稼働率ですね。モノの利用効率が高まると、人類にとって必要な人工物の総量が減る。したがって〈シェア〉は〈持続可能な社会〉や〈持続可能な経済成長〉と関連づけて論じられることが多いですね。

ありがちな勘違いについて指摘しておきます。「経済成長によって環境負荷が高まるので地球が持続可能ではなくなる」という勘違い。「経済成長」は物質の生産・廃棄を伴う必要がありません。端的に言えば、再生可能エネルギーとゴミゼロの資源循環型社会を実現しつつ、経済成長もできるわけです。

酔っ払いがソーシャルゲームを正当化してみた

消費を伸ばすとして、物質的な消費の拡大には問題がありますね。生産〜物流〜廃棄にエネルギー消費や環境負荷が伴います。一方、情報的な消費は、エネルギー消費が少なく、環境負荷も小さいです。

ほっとくと、過剰を蓄積した国家は、それを一気に消尽するために戦争をおっぱじめやがりますね。怖い怖い。

でも、経済成長は必要です。ならば、「情報的(非物質的)な消費を増やすことでの経済成長」を考えていく方向がいいと思います。それによる新たな問題も出てくるんでしょうけど、困難のない道のりなんか無いわけで、いろんな未来の可能性から選ぶとしたら、ぼくはこれを選びたいです。

「経済成長によって環境負荷が高まるので地球が持続可能ではなくなる」という勘違いから、新たな勘違いも生まれます。「〈シェア〉が広まることでモノが売れなくなるから経済成長が止まる」という勘違い。いまよりモノが売れなくなったところで、やはり経済成長の可能性はあります。

「物質的消費」(および「モノが売れること」)と「経済成長」を短絡するのは誤りです。

リユース、コユース、リデュース、持続可能性、資源循環

あと、「シェア」も曖昧な概念ですね。例えば「リユース」と「コユース」という分類はけっこう重要ではないかと:

  • リユース reuse モノが人から人の手へと渡ること(所有権の移転)
  • コユース co-use モノを複数人で使用すること(単一の所有主体が貸与する場合と、共同所有の場合と、所有者がいない場合がある)

〈シェア〉の帰結としてゴミの減量(リデュース reduce)があります。これが〈シェア〉と「持続可能な社会」を結ぶリンクですね。さらにリサイクル(ゴミの再資源化 recycle)もあわさることで完全な循環型社会に近づきます

まあ、「完全な循環型社会」というのも「夢」かもしれませんけどね(佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る』的な意味で)。「江戸時代は循環型社会を実現していた」というノスタルジックなロマンティシズムから「中世に戻ろう」とか言っちゃうのはダメだと思います。

資本主義と民主主義の次の段階として〈冷たい社会〉を目指すといった話ならありえると思います。でも、中世に「戻る」ってのは思考停止だと思うなあ。歴史は巻き戻せないんですよ。

とはいえ、資源循環の度合いを上げたほうがいいのは間違いない。ぼくが言いたいのは「完全」を目指すのは望ましくないんじゃないか、ってことです。

シェアの阻害要因、〈「豊かさ」の多様化〉、〈欲望のエデュケーション〉、市場独占

〈「豊かさ」の多様化〉と〈「豊かさ」の脱物質化〉による〈「豊かさ」の主観化〉が進行しています。

「豊かさ」の主観化(および「HCD と UXD の違い」について)

〈「豊かさ」の多様化〉は〈シェア〉を阻害します。逆を考えてみればいい。人々の欲求が画一的であったり、そもそもこだわりがなければ、「他人のおさがり」でも「使えればいい」と思えるわけです。モノが不足していた時代にはそうだったでしょ? でも、現代を生きる我々は、「使える」だけのモノが欲しいか?っていうと「否」ですよね。タダでも欲しくない。

欲望のエデュケーション〉によって人々の欲求を画一化することもできるんです。アップルの iPhone は最も成功した〈欲望のエデュケーション〉です。宮台真司風に言えば〈市場の啓発〉と〈価値の訴求〉。

例えばこういうことです。みんな iPhone が欲しければ、iPhone のリユースは活発です。最新機種を新品で変えない人も、中古の iPhone を求める。ところが、みんなが欲しがるスマホが千差万別だったらどうでしょう、二つの状況を比べると、後者ではリユースが減りそうですよね。

前述の〈「豊かさ」の多様化〉に抗うことがシェアを促進する可能性もある。ちなみに、アップルの大成功を受けて、(あの市場競争大好きなアメリカで)「よい独占」の議論が盛り上がってるそうですね。

アップル型の「良い独占」に傾く経営者  産業部次長 中山淳史 :日本経済新聞

 いい独占や独裁者は「圧倒的な利便性や効率化、驚異的なイノベーションを生む」とウー氏は言う。まさに「iPhone」や「iPad」を生んだ原動力はジョブズ氏がアップルの全権を掌握し、ソフトとハードを融合した見たこともないような製品づくりを続けてこられたからだ。

 そうした企業はとてつもない株式時価総額を生むことも多い。それは1カ国の中で独占状態を築いたから、あるいは築けそうだからそうなったのではなく、グローバル市場で大きな成功を収め、爆発的に巨大化していく予感を秘めているからだ。「独占」はつまり、場合に応じて目をつぶることもありうる存在なのかもしれない。

〈シェア〉を可能にする技術

どこに何があるか(利用可能 available か)という情報が流通しなければ〈シェア〉のマッチングが成立しません。物質(アトム)に関する情報をデジタルデータ(ビット)に変換する手段が極めて重要です。

〈シェア〉を可能にする技術(イネーブリング・テクノロジー enabling technology)が重要なのです。例えば、本棚共有サービスにおけるバーコードリーダーみたいな〈アトム・ビット・コンバーター〉(ABC) がカギになる。

〈シェア〉のソーシャルな価値

ソーシャルな文脈(ソーシャルコンテキスト social context)でモノをシェアするとき、単なる経済効果だけではなく、ソーシャルコミュニケーション(社交的やり取り)を伴います。人々はソーシャルな価値も求めて〈シェア〉する場合があります。

この場合、「取引コストを最小化する」という設計努力では誤るかもしれません。社交 (social interaction) は面倒くさいからこそ社交なのです。社交の本質は面倒臭さにある。

分かりやすい例は年賀状。「私にとってあなたはこれだけ手間をかけてもいい大事な人なんです」という〈シグナリング〉と、そのコストの累積による〈サンク・コスト〉が、社交の重要な要素です。

場合によっては、取引コストを、むしろ増やす(面倒臭くする)方がいいかもしれないのです。

シグナリング - Wikipedia

この概念は2001年にノーベル経済学賞を受賞したマイケル・スペンスによってはじめて分析され、高等教育が労働者の生産性に何ら影響を及ぼさないとしても、企業がその労働者に対して、高賃金を支払うことは合理的であることを示した。

コンコルドの誤謬/行動経済学&社会心理学の研究

途中でこうすることが正しいと分かっていても、既に支払ってしまった費用の事が頭の片隅にあり、その行動の軌道修正ができなかったり、やめる事ができなかったりする。

そして、その既に支払った費用の事を埋没費用(まいぼつひよう)=サンクコストと言います。

〈シェア〉と社交のバンドリング

「ランチのついでにモノをシェアする(受け渡す)」とか「受け渡すついでにお茶する」というのは〈シェア〉と社交のバンドリング(抱き合わせ)です。

社交とバンドルすることによって「わざわざ会いに行く面倒臭さ」がなくなるので〈シェア〉しやすくなります。〈シェア〉促進のためには社交とのバンドリングが有効でしょう。

価値もコストも本質的には主観的で個人的ですからね。気の持ちようです。だから気持ち・感情を、「騙す」ことで操作できる。やりすぎるのは設計倫理としてダメですけどねえ。

悪玉ユーザーエクスペリエンスとアーキテクチャ支配の不可視性

哲学思想・社会学の文脈で「アーキテクチャ」といえば、しばしば「不可視な支配機構」を指します。「ルール(規則)」と「支配する」は同じ英単語(rule)であることを確認しておきましょう。人々にルール(規則)を課すことができるのは権力者や支配機構です。「ルールを課すこと」と「支配すること」は同じ意味です。国家権力がユーザーエクスペリエンスや情報アーキテクチャの技術を用いて、人々に容易には意識されない方法で、その行動を誘導するとしたら?

処分費用>取引費用

一方、ドライな経済学的な話をすると、多くのモノには処分費用があるんですね。粗大ゴミの処理券とか。リサイクルマークのついてないPCとか。ものによっては数千円かかったりする。

リユース系の〈シェア〉について言えば、処分費用を取引費用(〈シェア〉のコスト〉が下回れば、〈シェア〉しますよね。これは〈ソーシャルな価値〉を欲しないドライな人であってもそうなのです。

ですから〈シェア〉ビジネスの構想においては「ソーシャルな価値の訴求」「社交のバンドリング」だけでなく、「取引費用を処分費用より下げること」「処分費用の高い財を取扱対象にすること」が有効です。

プライバシーと匿名化

〈ソーシャルな価値〉の反対かもしれない話。「会いたくない」場合がありますよね。

  • 女性が、どこの誰かも分からないような男性に会うのは怖い。
  • 会うための日程調整、移動、待ち合わせが面倒臭い。

こういう問題の解決策として「駅のコインロッカー」は有効かもしれませんね。色々と制約はありますが、対象とする問題に文脈にハマれば。

コインロッカーというパブリックスペース、都市の公共空間を利用する。そして対面せずにニックネームで取引すれば匿名的。こういう極めて都市的なシェアシステムもありえるでしょう。

不要・余剰のシェアと、必要・不足のシェア

必要なものが不足していたり、個人で購入できない(affordable でない)からする〈シェア〉は、〈必要・不足のシェア〉ですね。昭和、テレビに普及前は、テレビのある家に見せてもらいに行っていたそうです。団塊世代にはいるはずですよ。

〈必要・不足のシェア〉の事業機会は、途上国にありそうですね。また、先進国でも、個人で買うには高額なものや稼働率の低いものですね。車 (Zipcar) や家 (Airbnb) はシェア対象の代表ですね。

一方、不要になったものをシェアするのは〈不要・余剰のシェア〉ですね。Livlis がそれ。これは『断捨離』や『人生がときめく片付けの魔法』の流行とパラレルな現象ですね。

「良いものを長く使う」という前提で、「良いものを買ったけど、飽きたりして不要になった」ときに、「まだまだ使える良いものなので、人に引き継いで欲しい」という、モノへの愛着からくるシェア欲求が出てきますね。

これって、「長く使える良いものを買った賢い消費者としての私」を承認する欲望なんですよね。そういう欲望は「エデュケート」(教育・涵養)されるべきものであり、『暇と退屈の倫理学』における「贅沢」(あるいは「浪費」)の議論に通じます。

もちろん、必要・不足によるシェアか、不足・余剰によるシェアか、なんて観点の違いであって、客観的には決定不能ですけど。

みたいな。

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