ユーザー・インターフェイスの進化の本質

ユーザー・インターフェイスは「モーダルからモードレスへ」のトレンドに従って進化する。ユーザー・インターフェイスは「透明」になっていく。情報や概念の対象(オブジェクト)そのものの持つアフォーダンスが知覚されるようになる。換言すれば、ユーザー・インターフェイスの進化の本質は、情報・概念の〈物質化〉である。

これはユーザー・インターフェイス専門家向けの論文である。

2012年10月26日、ソシオメディア上野学氏の講演を聴講した。世の中にはユーザー・インターフェイスのトレンドを「CLI(コマンドライン・インターフェイス)→GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)→NUI(ナチュラル・ユーザー・インターフェイス) 」と語る人もあるが、そうではなく、「モーダルからモードレスへのトレンド」こそ本質である、という講義だった。

詳しくは『モードレス・ユーザーインターフェース』を読まれたい。また、その結論へ至る思考過程のメモは『Modeless and Modal』として公開されている。

「モーダルからモードレスへ」という概念は、上野氏が『デザイニング・インターフェース』の翻訳に携わったのち、『ソシオメディアUIデザインパターン』を編纂する過程で、「数多くのパターンに通底する根本原理は何か」と抽象化して考えた成果なのだそうだ。

私も「モーダルからモードレスへ」というユーザー・インターフェイス・デザイン原理は有効だと考えている。素晴らしい成果だと思っている。しかし、一層の抽象化が可能なのではないか、という「もやもや」感もあった。

今日は深夜の謎のテンションから「もやもや」を解消する着想を得た。その着想、つまり「モーダルからモードレスへ」を一層抽象化した理論を、ここに披露する。上野氏による素晴らしい成果を、さらに発展させることができれば幸甚である。

  • ユーザー・インターフェイスは「モーダルからモードレスへ」のトレンドに従って進化する。
  • ユーザー・インターフェイスは「透明」になっていく。
  • ユーザー・インターフェイスは経験的存在としては消滅していく。
  • 「インターフェイス」という概念が原点回帰していく。
  • 情報や概念の対象(オブジェクト)そのものの持つアフォーダンスが知覚されるようになる。
  • 換言すれば、ユーザー・インターフェイスの進化の本質は、情報・概念の〈物質化〉である。

以下、この理論を筋道だてて説明する。

もともと「インターフェイス」という言葉は、「気相と液相の界面」などを指す物理学用語だ。 界面は、幾何学における直線のような、形而上学的概念だ。 デカルト的な意味で延長(物体が占有する長さや幅や高さなどの空間的な広がり)を持たない。 界面は厚みを持たない。 界面は物質ではなく概念だ。

一方、「ユーザー・インターフェイス」は物質として理解されている。 UI はデバイス、タッチパネル、ソフトウェアのビューやコントロール、グラフィクスなどを指す。 それらのどれもが延長を持つ、物質的存在である。

という話は、いったんここまでにしておく。 あとでもう一度出てくるから、忘れないで頂きたい。

これ以降、「ユーザー・インターフェイス」という言葉を一般的な意味で使う。 つまり、ユーザー・インターフェイスを物質的存在として語る。 さらには、「ユーザー・インターフェイス」を「メディア」に喩えたりもする。 もちろんメディア(媒質)は物質だということを意識して頂きたい。

ところで、「理想的なユーザー・インターフェイス」とは、どんなものか。 「その存在が意識されないようなユーザー・インターフェイス」が、理想的なユーザー・インターフェイスである。 「それ自体としては経験されないユーザー・インターフェイス」が、理想的なユーザー・インターフェイスである。

理想的なユーザー・インターフェイスとは、「透明なユーザー・インターフェイス」のことである。

透明なものは、経験されない。 例えば、我々の視界に空気は映らない。 我々には空気を見ることができない。 空気は光を伝達する上で透明なメディア(媒質)だ。 透明な媒質は、伝達されるものに影響を与えない。 媒質(メディア)が存在しないかのように経験されるものが「透明」である。 透明なメディアは経験されない。 したがって、理想的なユーザー・インターフェイスを、「透明なユーザー・インターフェイス」と呼ぶことができる。 「その存在が意識されないようなユーザー・インターフェイス」が理想的なのだから。

ユーザー・インターフェイスが透明で、経験されないならば、何が経験されるのか。情報・コンテンツが経験される。透明なユーザー・インターフェイスは、情報・コンテンツへの操作をまったく邪魔しない。情報・コンテンツそのものが純粋に経験される。

視座を変えれば、ユーザー・インターフェイスがユーザーに意識されるとき、そのユーザー・インターフェイスは「半透明なメディア」として経験される。 ユーザーがオブジェクトに対して思い通りに操作できずにユーザー・インターフェイスが前傾化するとき、ユーザー・インターフェイスは半透明な存在だ。 半透明性が悪く機能している例だ。 一方、あるユーザーにとっては、ユーザー・インターフェイスがとても心地よく感じられたとする。 「ユーザー・インターフェイスが心地よい」と意識されるということは、半透明なユーザー・インターフェイスである。 ユーザー・インターフェイスのフェティッシュな魅力が、ユーザーに良い体験を与えるならば、それは半透明が良く機能しているということだ。

〔※TODO:東浩紀氏のテキストを参照して「半透明」なユーザー・インターフェイス/メディアについてのさらなる解説を加えたい。〕

ユーザーがオブジェクトに対して思い通りに操作できない(※悪い半透明)どころか、目的が達成できないようなユーザー・インターフェイスは「不透明」だと言える。 ただし、不透明性が常に「失敗した設計」であるとは限らない点は指摘しておく。 設計される不透明もある。 例えば、「ユーザーの権限不足によってオブジェクトへの操作を禁止する」といった設計だ。 これは合理的な不透明性だろう。

さて、ここまで「透明」「半透明」「不透明」について議論してきた。それをもとに、「モーダルからモードレスへのトレンド」について考えてみよう。

「モーダルからモードレスへのトレンド」とは、本質的には「ユーザー・インターフェイスの透明化」というトレンドだ。

冒頭の議論を参照すると、「ユーザー・インターフェイスの透明化」は、「ユーザー・インターフェイスがそれ自体としては経験されなくなる」ということだ。 それは、ユーザー・インターフェイスが「形而下の存在(経験的・物質的存在)」として認識される状態から、「形而上の存在(抽象的・概念的存在)」として認識されるようになるトレンドだとも言える。 つまり、「ユーザー・インターフェイス」概念は、「気相と液相の界面」という意味での「インターフェイス」概念に近付く(あるいは、回帰する)。 「延長を持たない形而上学的概念」として、「ユーザー・インターフェイス」は理解されるようになる。

もちろん、物質的根拠がなければ、ユーザー・インターフェイスは存在しえない。 ここでの視座においては、「ユーザーの経験上(=ユーザー・エクスペリエンスにおいて)は、ユーザー・インターフェイスは透明になり、認識・経験されなくなる」という事実が重要だ。 経験されない存在についての思考を「形而上学的思考」と呼ぶのだから、透明なユーザー・インターフェイスについての思考は「形而上学的思考」と呼ばざるを得なくなる。

デザイナーの力によって、物質的存在である情報機器を、経験世界から消し去ってしまうのだ! まるで魔術のように! そのようなことができるデザイナーは「ウィザード」と呼ばれるべきだろう。

結論としては、ユーザー・インターフェイス・デザイナーの究極目標は、情報機器という物質的存在を、あたかも経験世界から消し去ってしまうことだ。 その結果、ユーザーは情報的対象(オブジェクト)そのものに直接触れているような感覚を得る。

情報(あるいは「概念」)に直接触れて、まさに「概念操作」しているかのような体験が得られる。 そのとき、(ギブソンが用いた、本来の意味での)「アフォーダンス」が、情報・概念的オブジェクトにも宿るだろう。 いわば、情報・概念の〈物質化〉である。 まるで物質であるかのように、自然に、情報・概念を操作できる。 これが、ユーザー・インターフェイス・デザイナーが目指すべき、理想の、究極の、ユーザー・インターフェイスのあるべき姿である。

ユーザー・インターフェイスの進化の本質は、情報・概念の〈物質化〉である。

〔※この文章の副産物として蛇足を書いたので、別の記事として公開する。〕

メモ

ヒトと機械と情報についての酩酊哲学』のような情報哲学が下敷きにある。東浩紀著『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』や、ルチアーノ・フロリディ著『Information: A Very Short Introduction』など。また、本稿の着想は『思想地図β vol.3 日本2.0』収録、伊藤剛著『マンガのふたつの顔』p.452を読んでいる時に訪れた。

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