不透明なユーザー・インターフェイスと不可視なオブジェクト

そもそも「禁止されている操作があること」にすらユーザーが気付かないような設計、それはオブジェクトを透明にすることだ。ユーザー・インターフェイスを透明にすることではなく。

この記事は、『ユーザー・インターフェイスの進化の本質』の副産物、「蛇足その二」である。

ユーザーがオブジェクトに対して思い通りに操作できない(※悪い半透明)どころか、目的が達成できないようなユーザー・インターフェイスは「不透明」だと言える。 ただし、不透明性が常に「失敗した設計」であるとは限らない点は指摘しておく。 設計される不透明もある。 例えば、「ユーザーの権限不足によってオブジェクトへの操作を禁止する」といった設計だ。 これは合理的な不透明性だろう。

とはいえ、操作を禁止されて不快に感じることもある。 ユーザー・インターフェイスを「不透明」にすることは、できれば避けたい。 では、「不透明にすること」、言い換えれば、「ユーザーのやりたいことを阻害すること」のほかに、どのようにして設計目的を実現(つまり、ある操作が実行されないように)することができるだろうか。

そもそも「禁止されている操作があること」にすらユーザーが気付かないような設計が実現できたら、どうだろうか。 それは、いわば「周囲から見えなくなる結界の魔術」のようなものだ。 その領域に近寄ろうとしなくなるどころか、そもそも、その領域の存在がユーザーの認識から外れてしまうような。 視界には入っているのに、意識としてはそれが「視えなくなる」ような催眠術にも似ている。 そんな設計ができれば、それはユーザー・インターフェイス(=メディア)が透明なのではなくて、オブジェクトが透明なのだ。

ユーザー・インターフェイス(=メディア)は、対象(オブジェクト)への操作を媒介(メディエート)する。 そういう構図で「媒質」(メディア)という喩えを用いているわけだ。

メディアが透明になれば、オブジェクトは、くっきり見える。 アクセスを阻害する不透明なメディアがないのだから。

一方、オブジェクトが透明ならば、メディアが透明であっても、オブジェクトは不可視だ。 「オブジェクトの透明化」は、「光学迷彩」のイメージだ。 オブジェクトは経験上消去されるだけで、実在はしている。

「視えなくなる催眠術」「光学迷彩」のような「オブジェクトの透明化」は、「オブジェクトの不可視化」だと言える。ここで「メディアの不透明化」と「オブジェクトの不可視化」を明確に区別しておこう。紛らわしいかもしれないので。

「メディアの不透明化」は、オブジェクトの存在が認識されている場合に、それを阻むように作用する。空気を不透明にする煙幕のイメージだ。

「オブジェクトの不可視化」は、オブジェクトの存在への認識を阻む。視界に入っているのに「視えない」光学迷彩のイメージだ。

なお、「視えなくなる結界魔術」のような「オブジェクトの不可視化」は、悪意を持って行われると「黒魔術」になる。いわゆる「悪玉ユーザー・エクスペリエンス・デザイン」である。詳しくは『悪玉ユーザーエクスペリエンスとアーキテクチャ支配の不可視性』を読まれたい。

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