UI と UX の違い

「UI」は「ユーザー・インタフェース」。

「UX」は「ユーザー・エクスペリエンス」。

「UI/UX」と混同表記する人がいるから、「UI と UX の違い」という不要な疑問も生じるんです。

「UI と UX の違い」なんて瞭然ですよ。

それを説明するために、ちょっと回り道します。

怪我と痛みの違い」は瞭然ですよね。

「怪我」は客観的物質的存在です。

怪我した本人でも他人でも誰でも、そこに怪我が「ある」ことを観測できる。

一方、「痛み」は主観的な感覚ですね。

他人の「痛み」は観測できない。

痛がっている様子から「痛いんだろうな」と推定することはできるけど。

「UI」が「怪我」、「UX」が「痛み」に対応した比喩です。

「UI」は客観的物質的存在です。

誰が見ても iPhone にホームボタンは一つです。

誰が押してもホーム画面に遷移する、というインタラクションです。

一方、「UX」は主観的な体験(エクスペリエンス)ですね。

言い換えると、心の中の出来事です。

「怪我」から「痛み」を感じるように、「UI」から「UX」が生じる。

UI を利用することで UX (利用経験)が生じる。

「原因と結果」の因果関係でもある。

「UI と UX の違い」なんて、小難しく考える必要はない。

こんなにも簡単な「違い」です。

以上。

「UI と UX の違い」についてのワンポイント哲学講座でした。

じつに簡単な「違い」でしたね。

補足:主観的であるということ

大事な補足が一つ。

感じ方は、人それぞれ。

同じ UI でも、人々がその UI の利用から得る UX はそれぞれ異なる。

極端な例では、無痛症なら、怪我をしても痛みを感じない。

「みんな」が褒める iPhone に感じ入らない人もいる。

iPhone のホームボタンを押して、ホーム画面に遷移する時間を「一瞬」に感じる人もいれば、「もうちょっと速くなんないかな」と感じる人もいる。

これは大事なことなので、UX デザインに際して忘れてはいけないことです。

なお、HCD(人間中心設計)の基本的なコンセプトも「人それぞれ」です。

思想的なキーワードとしては〈多様性〉ですね。

「みんな(自分と)同じ」と思うなよ、ということです。

おわりに

UI と UX の違い」っていう下らない議論を終わらせるために書きました。

少なくともぼく自身は今後この URL を投げるだけで用が済みます。

ちなみに、語る意義があるとしたら、「UI と UX の違い」じゃなくて、「UI から UX が生成するプロセス」のほうかな。

クリッペンドルフの『意味論的転回』とかね。

さっき

痛がっている様子から「痛いんだろうな」と推定することはできるけど。

と書いたんですけど、『意味論的転回』ではこれを「二次的理解」と表現してます。

人が他人に〈共感〉できるのは、どのような原理からなのか、という問題にも通じます。

逆に言えば、〈共感〉こそ、基本的なデザイン原理の一つ。

哲学、ドイツ観念論とか現象学とかやってる人にはおなじみのテーマですよね。

メルロ・ポンティとかね。野中郁次郎でも重要ですね。〈間身体性〉。

ぼくが個人的に語りたいのは「UXD と HCD の違い」かなあ。

「豊かさ」の主観化(および「HCD と UXD の違い」について)

補足:比喩とアナロジー

蛇足ですが、「怪我と痛みの違い」と「UI と UX の違い」は、「比喩」ではあっても「アナロジー」ではありません。

「怪我」を「UI」と呼ぶことには異論もあるでしょうからね。

初心者向けの説明としては不適切になってしまいます。

もしアナロジーとしての妥当性を高めるなら、「UI」に対応するのは「針」でしょうね。

針で指を刺したら痛く感じる。

針が UI で、痛みが UX です。

って、所詮喩えは喩えで、厳密ではないんでね。

どうでもいいよね。

本文を読めば喩えに頼らなくても理解できると思うので。

補足:「公式」な定義

専門家が使う専門的な定義を知りたかったら『UX白書』をどうぞ。まあ、権威ある機関の公式文書とかではないのですが、そこそこ通用している文書だと思いますよ。

補足:「UX」と「UXD」の違い

本稿の本文は「UX」(ユーザー・エクスペリエンス)について語っているのであって「UXD」(ユーザー・エクスペリエンス・デザイン)については語っていません。そこのところ混同する人も多いようですね。。。いつか気が向いたら「UIとUXとUIDとUXDの違い」を書くかもしれません。

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