仕事

ウィキペディアの記事「ユーザーエクスペリエンス」を執筆 正しい知識の普及のために

2017-09-20

ウィキペディアは人々にとって重要な情報源の一つとして定着しました。何か知らない単語を検索すれば、驚くほどの頻度で検索結果の最上位にウィキペディアが表示されます。これほど人々にアクセスされやすいウィキペディアですから、そこには良質な記事が必要です。ところが、良質ではない記事もあふれています、残念ながら。

「ユーザーエクスペリエンス」という重要なページも、品質の低いまま何年も放置されていました。ユーザーエクスペリエンスの正しい理解は、インターネット業界に限らず広く産業界にとって重要です。また、情報建築家(インフォメーション・アーキテクト)のコミュニティにとっても重要です。

このたび、産業界および専門家コミュニティへの貢献として、つまり社会貢献として、ウィキペディアの「ユーザーエクスペリエンス」のページを書き下ろしました

今後はこの記事が十分に活用されることを望んでいます。また、誰かが編集に参加して、この記事をよりよいものにしてくれることを期待します。

「ユーザーエクスペリエンス」に限らず、ウィキペディアには問題のある記事が多数あります。私自身は「情報アーキテクチャ」のページを改善にしたいと思っています。あるいは、まだ書かれていないページもあるでしょう。「人間中心設計」はまだ書かれていません(2017年9月20日時点)。

今後、ウィキペディアの編集に参加する人が増えれば嬉しく思います。誰でも自分が詳しい分野で、人類の知に貢献することができます。人々にとって最もアクセスしやすい情報源の品質を高めることで、世界を少しずつよくしていきましょう。

ウィキペディアは誰でも気楽に編集できます。ただし、できればウィキペディアガイドブックの「編集方針」というページには目を通しておきましょう。なお、このページは編集画面からリンクされていますので、いま急いで読む必要はありません。実際に投稿する際に確認すればよいでしょう。

ウィキペディアは不完全です。それに不平を言うことは簡単です。しかし、自らウィキペディアの改善に貢献することもまた簡単なのです。

—ゼロベース株式会社 代表取締役 情報アーキテクト 石橋秀仁

こぼれ話

昨今の学生はウィキペディアに依存しています。ある調査によれば、日本の大学生はウィキペディアを「どちらかと言えば信憑性のあるもの」と考えており、レポート作成などにも用いているものの、参考文献には挙げない傾向があるそうです。1

ウィキペディアを活用するには、その内容や品質に懐疑的であるべきです。正しい情報を求めているのであれば、ウィキペディアの記述を鵜呑みにすることなく、その出典や参考文献にあたって確認しなければなりません。ウィキペディア上にも「ウィキペディアの問題点」として「記事の信頼性」が筆頭に挙げられています。

個人的には「ウィキペディア=不正確」という認識は「常識」くらいに思っています。しかし、大学生はウィキペディアを「どちらかと言えば信憑性のあるもの」と捉えている。これは、まずいことです。

この手の問題は、一般的に「メディアリテラシー」の問題だと言われがちです。つまり、「受け手の問題」「利用者の問題」というわけです。確かにその側面もあります。大学生ともなれば「ウィキペディアを鵜呑みにしないのが常識」という認識を持つべきだし、大学はそのような教育をすべきです。それは間違いない。

しかし、他方では「書き手の問題」「メディアの問題」とも言えます。そもそもウィキペディアに良質な記事がないことが問題だ、そもそも信頼できる情報がウィキペディアに載っていればいいのだ、とも言えるわけです。もしこれをウィキペディア全体について言うならば、非現実的な理想論ではあります。しかし、特定の記事について言うならば、実現可能・実行可能な目標であって、夢ではありません。なにせ、自分で編集すればいいだけなのですから。

ですから、私は「専門家自らウィキペディア上に良質な記事を書く」という選択をしました。「誰かから依頼されるかどうかではなく、自分で勝手に世の中を良くする」というインターネット的・オープンソース的・ハッカー的な考え方とやり方です。それはまさにウィキペディアを成り立たせている考え方とやり方でもあります。

ウィキペディアに問題があると思うなら、誰に許可を得る必要もなく、自ら編集すればよいのです。

本来、私よりも適任の人々が執筆することが望ましいのは言うまでもありませんが、現実には誰も手をつけず長年に渡り放置されていました。これはもう仕方ないので、私がやることにしました。私は狭い意味での「ユーザーエクスペリエンスの専門家」ではありませんが、隣接領域である情報アーキテクチャの専門家ではあります。専門家として執筆する資格は十分にあるはずです。2

私が書き直しを決意した2016年12月28日時点の「ユーザーエクスペリエンスデザイン」という記事には、次のような問題がありました:

ユーザーエクスペリエンスデザインは、ユーザーエクスペリエンス(en:User experience)についてのエクスペリエンスデザインである。

見出し語の問題
「ユーザーエクスペリエンス」という見出し語の記事がありませんでした。読者にとっては、肝心な「ユーザーエクスペリエンス」という概念の説明が不十分なまま、それについての「デザイン」に関する説明だけを読まされるという奇妙な文章になっていました。何だかよくわからないものをデザインすることはできません。
冒頭文の問題
ウィキペディアにおいて、冒頭文は最も重要で、慎重に書かれなければなりません。というのも、グーグル検索には「〇〇とは、〜〜である」のように検索クエリへの直接の回答を表示する「アンサーボックス」という機能があるのですが(みなさんも見覚えのあることかと思います)、アンサーボックスにはウィキペディアの冒頭文がしばしば用いられます。少なくとも「ユーザーエクスペリエンス」ではそうでした。ですから、ウィキペディアの冒頭文は簡潔な説明文でなければなりません。しかし、既存の冒頭文は、「ユーザーエクスペリエンスデザインは、ユーザーエクスペリエンスについてのエクスペリエンスデザインである」という悪文でした。何も言っておらず、読者の役に立ちません。
不十分な内容
ユーザーエクスペリエンスについて解説されるべきことが十分に記載されていませんでした。端的に言って、内容が少なすぎました。
形式的品質の問題
ウィキペディアのガイドライン(検証可能性中立的な観点独自研究は載せない出典を明記するなど)に照らして品質が低い記事でした。そのことは2010年9月時点で「ページの問題点」として指摘されていたのに、6年間に渡って放置されていました。

このような問題を解決するため、信頼できる情報源に基づき、出典を明記するスタイルで、満足のいく記事を執筆することにしました。

以前の版のスクリーンショット

このような執筆意図について、最初に「執筆趣意書」を書いてから仕事にかかりました。どんなプロジェクトでも最初にプロジェクト定義書を作ることが成功の秘訣だと思います。

なお、今回の執筆を通じて学んだことは、ウィキペディアの既存記事を書き下ろしテキストで差し替えるのは、じつに大変な仕事であるということです。実際の工数としては、数えただけでも30時間はかかっています。次に同じようなことをする際には、既存の記事を漸進的に手直しする方針をとるつもりです。3

「もうウィキペディアの書き下ろしは懲り懲りだぜ! 完」
(ゼロベース先生の次回作にご期待ください)


冗談はさておき、真面目な話もしておきましょう。

ウィキペディアのガイドラインに従いつつ自分の書きたいことを書くのは本当に難しいのだと実感しました。それでも、執筆中に気付いたことがあります。ウィキペディアのテキストには、「届くべき人に届いていない大事なこと」を届ける力がある。

具体的には、ユーザーエクスペリエンスの解説の中に アクセシビリティの重要性 を盛り込むことができました。しばしば見過ごされがちですが、デザイン実践者が責任を持って対処しなければならないことです。つまりデザインの教育や啓蒙において重視すべきことです。今回の執筆プロジェクトのなかでアクセシビリティの記述をたくさん書き込めたことは、個人的にはちょっとした達成であり、満足しています。

要するに、私がやろうとしたことは、 デザインに携わる人々のデザイン言語を変え、デザイン観を変えること です。このことをクリッペンドルフは『意味論的転回』のなかで「ディスコースのデザイン」と名付けています。その典型的な例はデザイン教育です。ウィキペディアのテキストもまた学校内外でのデザイン教育を担えるということです。

付録

グーグル検索結果の「アンサーボックス」のスクリーンショット:

執筆した記事のスクリーンショット:

目次のスクリーンショット:

謝辞

今回の執筆にあたり、ユーザーエクスペリエンスの専門家である安藤昌也氏(千葉工業大学 先進工学部 知能メディア工学科 教授)から大変有益な助言を頂きました。また、ウィキペディア日本語版の管理者である日下九八(くさかきゅうはち)氏からは、ウィキペディア編集上の助言を頂いただけでなく、全面書き下ろしという無謀な挑戦を勇気付けて頂きました。ここに感謝の意を表します。

  1. 佐藤 翔, 井手 蘭子, 太田 早紀, 林 直樹, 道浦 香奈, 副田 沙織. 日本の大学生のWikipediaに対する信憑性認知,学習における利用実態とそれらに影響を与える要因. 情報知識学会誌 Vol. 26 (2016) No. 2 p. 195-200. 

  2. まあ本来ウィキペディアの編集には何の資格も必要ありません。これは私が私自身に向けた「敷居」の話です。部分的な編集ではなく「書き下ろし」を目指したということは、それ以前の編集者たちによる貢献内容を部分的に否定するということでもあります。ですから、それなりに高い敷居を自分に課したのです。しかし、これは特殊な事情です。これからウィキペディアを編集してみようという人は、「自分には資格があるか」などと難しく考えず、気軽に編集して良いと思います。とはいえ、最低限の心がけとして「ガイドブック」には目を通して頂きたいと思います(本文中でも触れたように)。せっかく編集しても、「要出典」「独自研究?」などのダメ出しをもらって「ウィキペディア嫌い」になってしまっては残念なので。 

  3. ただし、個人ではなくチームで執筆していたならば、また違う感想を抱いたかもしれません。 

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